「森の世界」
森には
何一つ無駄がない
植物も 動物も 微生物も
みんな つらなっている
一生懸命生きている
一種の生きものが
森を支配することの
ないように
神の定めた
調和の世界だ
森には
美もあり 愛もある
はげしい闘いもある
だが
ウソがない
この詩は「どろ亀さん」の愛称で親しまれ、富良野市に所在する東京大学北海道演習林(明治32年設置)の林長をお務めになられた高橋延清先生(故人)が遺したものだ。林業の実践的研究を志し、森の中をはいずり廻る様から、先生はいつしか「どろ亀さん」と親しみをもって呼ばれ、ご自身もそのニックネームをこよなく愛した。この詩には、どろ亀先生の森林に対する熱い想いが込められていると同時に、先生が目指した森づくりの信念が凝縮されている。
どろ亀先生は1914年(大正3)に岩手県でお生まれになり、1937年(昭和12)に東京帝国大学農学部林学科を卒業、1942年(同17)に富良野町(当時)に拡がる北海道演習林の林長となり、その後36年間の長きにわたって林業の研究とその実践に専念された。「森こそ教室」と実学の精神を貫き、フィールドからの着想を大切にされ、一度も東京大学の教壇に立つことはなかった。
1955年(昭和30)、どろ亀先生は「林分施業法」という天然林管理の方法をこれまでの経験や受け継いできた知識を統合して構想され、この北海道演習林独自の森づくりの手法は現在も実践されている。林分施業法とは、「生育する樹木の密度や種類、大きさ、天然更新の良否などによって森林をいくつかのタイプ(林分)に区分し、各林分の状態に応じて伐採や植え付け、保育といった作業(施業)を行う方法のこと」(*1)である。林分施業法は次の6つの原則で成り立っている。
①成長の衰えた老齢木を収穫して、若木を成長させて活力のある林に早く導き、その状態が長く保てるようにする、②生態系を大きく壊すようなことをできるだけ避ける、③すべて同じ方法で木を伐るのではなく、林分の特徴や条件に応じて適切な方法を選んで作業を行う、④背の高い木々があり、後継の若木も存在するような元気な林に導き、日光を最初に受ける最も高い木々をしっかり成長させる、⑤遺伝的に悪い木は伐採し、形質の良い木を残す、⑥いろいろな病原菌や害虫などに対する抵抗力を高めて健康な林にする。
これが北海道演習林の森づくりの基本である。つまり、それぞれの林に応じてよく観察・検討した上で、人がある程度手助けをして木々を成長させ、森の健康と活力、生態系を保たせながら木材収穫をする。林分施業法の6原則には、冒頭の詩「森の世界」の精神が息づいていることがお分かりになるだろう。
この林分施業法の考え方は、構想の2年前、どろ亀先生が森のエゾマツの下で休んでいるときに、エゾマツに教えられたのだという。エゾマツは「森を特徴的にとらえて小さな林ごとに分けて考えてごらん。全体ばかりを見ていないで…」「森にすんでいる動物たちのことも考えて…」(*2)と先生にささやかれたのだ。「大切なことはみんな森から教わった」そうおっしゃった、どろ亀先生のお人柄がよく現れたエピソードの一つだ。
詩「森の世界」に込められたどろ亀先生のメッセージとともに、その想いを受け継ぎ、さらに発展させながら研鑽する演習林技術者たちの森づくりの精神や技術力は、受け継がれていくべき地域遺産である。構想から50数年の時を経て積み重ねられた手法や精神が未来に繋がり、美しい針広混交林をなす富良野の森からさらに拡がっていくことを期待したい。
(*1)東京大学演習林出版局『樹海をゆく-富良野・東京大学演習林の森づくり-』2014
(*2)高橋健『森と生きる どろ亀さんと東京大学北海道演習林』ポプラ社2000