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1枚の腊葉標本は、歴史を語り夢を広げるー開拓使配布のリンゴー【コラムリレー第5回】

腊葉標本写真付き

一枚のリンゴの腊葉標本があります。仁木町の杢保観光果樹園にある樹齢130年を超える老木「祝」から取られたものです。

明治4年明治新政府の黒田清隆はリンゴ75品種をアメリカから持ち帰りました。それらの苗木を東京府青山の官園で養成した後、明治5年北海道の七重官園に送られ試験栽培され、道内各地へ配布されたのです。各地で様々な名前が付けられましたが、明治33年皇太子(大正天皇)御成婚にちなみ「祝」と命名。しかし今でも農家は導入当時の品種番号の14号と呼びます。明治期の七大品種、国光・紅玉・柳玉・祝・倭錦・紅魁・紅紋の一つです。

明治16年開拓使から配布されたりんごの苗木30本を、杢保与三郎氏が入植地の仁木の自宅裏に植えました。この木は現在まで唯一、生き残った樹です。 風雨に堪えて来たこの老木ですが幹は中空、後継木はありません。この樹を受け継いだ農園4代目英夫さん、大風で倒れないようにこの木に杖をつかせ、左右のバランスが悪くならないように剪定し、切口に雑菌が入らないように細心注意を払っています。

リンゴの木は普通は接ぎ木で増やします。種は発芽せず剪定した枝から根も出ないと云います。「祝」は1817年にアメリカで発見された古い品種で、実がよく落ち原種の形質を持っています。もしかしたら発根剤などを使えば根が出るかも知れないと思い、杢保さんから剪定した枝ももらい試しましたが、葉は出るが根はやはり出ません。台木に接ぎ木をすれば後継木は出来るが、それでは丸ごと「祝」ではありません。腊葉標本が過去の記録としてだけ残ってしまう前に、クローン培養で後継木を残すことは出来ないのでしょうか?

杢保さんは開拓使から配布された遺伝子を丸ごと残す「祝」の後継木が出来るというのは、とっても夢があると語ってくれました。今、道立林業試験場で「祝」の葉芽から培養が進められています。現在葉が出てシュートが伸び、試験管から培養瓶に移されました。これから増殖ステージに入ります。

今秋NHK朝の連続テレビ小説「マッサン」が始まります。「大日本果汁株式会社 (日果)」(現ニッカウヰスキー株式会社)を作った竹鶴夫妻の物語です。ニッカの黎明期を支えたであろう品種「祝」、再び花開き実を結ぶのか?実を結んだ暁には開拓使のリンゴで作ったシードルで乾杯!

資料として保存されるたった一枚の腊葉標本は歴史を語り、夢を広げるのです。

旭川大学地域研究所 特別研究員 齋藤和範