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長輪(おさわ)線の記憶【コラムリレー第35回】

室蘭における鉄路の敷設は、1892(明治25)年、室蘭港を利用した石炭輸送のため、北海道炭鉱鉄道会社が岩見沢―室蘭間を開業したことに始まる。

その後、経済圏の拡大等から、1928(昭和3)年、函館本線と室蘭本線を結ぶ長輪線(長万部―輪西[現東室蘭])が全線開通(鉄路総延長77.2㎞)し、室蘭は物流等の増加で大きな変化が起こった。

「長輪線輪西伊達紋別間開通記念絵葉書(本室蘭隧道附近東口)」

「長輪線輪西伊達紋別間開通記念絵葉書(本室蘭隧道附近東口)」

現在の本室蘭隧道附近東口

現在の本室蘭隧道附近東口

大正初期、函館本線と室蘭本線がそれぞれ開通していたが、内浦湾沿いに両本線を結ぶ鉄路は無かった。函館本線は(長万部~小樽間)は急勾配で、党機関は積雪のため運休が多く、本州からの人や物資は青森~函館~室蘭の定期航路等を利用して、室蘭から内陸部へ移動していた。また、内浦湾沿いの西胆振地方は室蘭からの船便が主要な物流・交通の手段だったので、共に不便であった。そこで両本線を内浦湾沿い(長万部~輪西)に結ぶ鉄道敷設誘致運動が起こり、1919(大正8)年、長万部を分岐点として長輪線の建設工事が始まった。建設工事は7区間(長万部からの西1~4区間、輪西からの東1~3区間)に分けて、長万部・輪西両方から行われたが、静狩峠付近は難工事で、豊浦町では慰霊碑も建立された。

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長万部―静狩間(「長輪線」のち輪西-伊達紋別間が開通して「長輪西線」に改称)が、1923(大正12)年に開通、輪西―伊達紋別間(長輪東線)が1925(大正14)年にそれぞれ部分開通した。輪西―伊達紋別間が開通した時には、輪西駅前で室蘭市役所主催の記念式典後、関係者役200名が列車に乗り込み伊達紋別に向かったことが新聞にも報じられ、本輪西駅では小学生による旗振りも行われた。

その後、全線が開通した1928(昭和3)年には、胆振・日高地方の特産物等を集めた「南北海道物産共進会」が、室蘭で10日間にわたり開催され、地元の歓迎ぶりがうかがえる。

また、開通当時の長輪線は、道内鉄道の中でも景勝地が多い路線として知られ、与謝野寛・晶子や斎藤茂吉が沿線の風景を詩に残している。

築堤の上を走る鉄路 「長輪線輪西伊達紋別間開通記念絵葉書(本輪西停車場全景)」

築堤の上を走る鉄路 「長輪線輪西伊達紋別間開通記念絵葉書(本輪西停車場全景)」

長輪線の開通により、長万部~岩見沢間が、従来の函館本線に比べ2時間短縮され、冬期間の降雪による運休も減少した。また函館から稚内までの直行列車も運行し、樺太(サハリン)までの交通網も整備された。室蘭や西胆振の流通・経済圏の発達、洞爺湖温泉や周辺観光地の発展、日高地方への鉄道延伸等、果たした役割はとても大きい。

1931(昭和6)年、北海道輸送経路の転機となり大動脈になった長輪線は、全線開通から3年余りで室蘭本線に編入された。この区間の路線名は無くなったが、現在も年配者の一部には「ちょうりんせん(長輪線)」という愛称で記憶に残っている。

(室蘭市教育委員会 学芸員 谷中聖治)