国内では50個の隕石が確認されていますが、北海道で確認されているのは一つだけです。1925(大正14)年9月4日に沼貝町(現在の美唄市)光珠内に落下したその隕石は、国立科学博物館や国際隕石学会では「沼貝・Numakai」として登録されていますが、美唄市指定文化財としての名称は「光珠内いん石」となっています。
その北海道唯一の隕石は、現在は一辺が切断された状態で美唄市郷土史料館に常設展示されています。落下時には356g(95匁)でしたが、現在は281gで、研究のためにこれまでに少なくとも3回切断された経歴があります。
1回目は、落下直後の1925年に地質学者の今井半次郎により、先端部の約20gが欠き取られたことが文献に記されています。今井らの研究により、隕石によく見られる球粒(コンドルール)がある石質の普通コンドライト隕石であることが分かりました。
3回目は、1972年に北海道大学理学部の八木健三教授(当時)らが、一辺を約37g切断しました。それらは、多くの研究者に分配され、薄片観察や組成分析に使われました。その成果は、多くの論文にまとめられ、他の隕石との比較研究がなされました。その時に切断した隕石の一部は、今でも北海道大学総合博物館の隕石資料として管理されています。その小片6gが、美唄市郷土史料館に展示している隕石本体と接合面が一致する事を、筆者は昨年に確認しました。
2回目については、約17g分の所在が不明でした。この隕石について1955年頃から調査をしていた小樽天文同好会長で北海学園大学の早川和夫教授(当時)が、いつ誰が欠き取ったかなどの詳細が不明であると指摘していました。
筆者の昨年からの調査の結果、沼貝隕石の小片が国立科学博物館に所蔵されていることを確認しました。さらに、一緒に所蔵されていた1960年頃の形状のレプリカと、その小片との接合面が一致することも確認しました。その小片の資料カードには、最初に切断した今井半次郎から小片を受け継いだと記されていたのです。今のところ、この2回目の切断がいつ行なわれ、小片がどのような研究に寄与したかは確認できていません。それでも、これまで空白だった経歴が埋まったことは、大きな成果です。
89年目の落下日となる今年9月4日から10月26日まで、美唄市郷土史料館では北海道大学と国立科学博物館の小片が里帰りを果たした特別企画展「光珠内いん石の里帰りー離別した小片が語る光珠内いん石の今昔物語ー」を実施しています。北海道唯一の隕石を是非ご覧下さい。
<小樽市総合博物館 大鐘卓哉>