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根室県庁で使われた食器【コラムリレー第46回】(秘蔵品のモノ語り最終回)

皿

1882(明治15)年~1886(明治19)年の期間、北海道は三県一局時代と言われ、道内は函館県、札幌県、根室県の大きく3つの行政区域に分けられていました。根室県の県庁所在地は現在の根室市にあり、釧路、紋別、北千島の占守島という非常に広い地域を行政範囲としていました。

そうした行政の中心である根室県庁舎は、1883(明治16)年着工、1884(明治17)年9月に竣工したもので、札幌市の時計台(旧札幌農学校演武場)や豊平館の建設に関わった安達喜幸が設計をしました。建物正面の外観は豊平館と瓜二つで、当時の根室市街地の古写真を見ると、港の沿岸に木造の簡素な家屋が建ち並ぶ中、丘の上の根室県庁舎が一際異彩を放つ様子がみてとれます。

写真は根室県庁舎で使われていたとされている食器で、古くから根室市で保管されてきました。大きさは直径25.5cm、高さ7.5cmです。体部の外面はロクロナデ調整の跡がみられ、高台は削り出し高台です。高台端部を除き全面的に白色の釉薬がかかり、見込みには2頭の蝶と金色の圏線が1本描かれています。縁部分には金色の圏線が3本と花をつけた桜の木が4本、蝶が2頭描かれています。丼と皿を合体させたような普段あまり見ない食器ですが、写真手前の穴からお湯を注いで食器を温め、皿に盛られている料理が冷めない構造になっています。

根室県時代は、1875(明治8)年の樺太・千島交換条約により、北に領土が拡大して10年が経過した時期ですが、千島列島の様相は詳しくわかっていませんし、根室の街づくりも途上の時期でした。この食器には一般の人々が見たこともないような料理が盛られ、中央官庁から千島や根室巡視で出張してきた役人の供応接待などに使われたことでしょう。根室県庁で振舞われていた料理のメニューやレシピが見つかれば、再現して食べてみたいものです。

(根室市歴史と自然の資料館 学芸員 猪熊樹人)