忠類ナウマンゾウの発掘は、1969年7月26日に中川郡幕別町忠類(旧広尾郡忠類村)において2個の臼歯が発見されたことに始まります。その後、同年8月の緊急発掘、10月の第1次発掘調査、翌1970年6・7月には第2次発掘調査がおこなわれました。これらの発掘調査は、十勝の地質を調査していた十勝団研(十勝団体研究会)が中心におこない、第2次発掘調査では全国各地から多くの発掘隊員が集まりました。
忠類ナウマンゾウの発掘調査に伴い一枚の大きな絵画が描かれました。この絵は、忠類ナウマンゾウとその古環境を復元した作品です。作者は函館市出身の抽象画家、近堂隆志氏。十勝団研の中心メンバーであった故近堂祐弘先生(帯広畜産大学名誉教授)の弟です。長男の祐弘先生は、第四紀火山の噴出物に関する分布・編年及び風化過程について調査研究をされた土壌学者で、東大雪地域の沢永久凍土や丸山火山、黒曜石の水和層年代測定といった地域に根差した研究もおこなっています。祐弘先生が忠類ナウマンゾウの発掘に携わられていたことがきっかけで、絵の製作を弟の隆志氏に依頼したのです。
絵には1970年6・7月の第2次発掘調査の結果が盛り込まれ、眼光鋭い若いゾウの凛々しい姿と泥炭に足をとられ慌てふためくゾウが描かれています。また花粉分析によって明らかになったアカエゾマツやトドマツ、ハンノキ、ノハナショウブも表現されています。そして奥には冠雪の日高山脈を望む湿原が広がり、現在よりやや温暖な景観が描かれています。函館にいた隆志氏は忠類の景色を知るはずもありませんが、兄で三男の近堂俊行氏(忠類村の中学教師)から、忠類に関する様々な情報を聞いたようです。
現在、忠類ナウマンゾウは後の研究によって大きく進展し、この絵とは異なる結果が示されています。当時、ナウマンゾウの発掘は村を挙げての一大イベントであり、人口3000人の村に1万人以上の関係者や見学者が訪れたと言われています。このような状況下で描かれたナウマンゾウの絵には、発掘に携わった人々や村民の想いが詰まり、作者も太古のロマンに胸を膨らませていたことでしょう。
<ひがし大雪自然館 学芸員 乙幡康之>