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ヒノキの山の謎の穴ボコ【コラムリレー第3回】

厚沢部町にある土橋自然観察教育林は道南でみられる植物の約80%が生育する天然林です。
松前藩の時代から「留山(とめやま)」として伐採が禁じられてきたおかげで、貴重な自然環境が残されています。
特に、「檜山郡」の語源となったヒノキアスナロは厚沢部川南岸までが分布の北限となっており、土橋自然観察教育林は事実上日本のヒノキアスナロの北限といえます。

レク森位置図
山の中の自然物と人工物
さて、考古学を仕事にする筆者は山に入っても人間の活動の痕跡を無意識に探します。
教育林内にもかつての杣道の痕跡や古い伐採跡が見られます。そのような人と森の関わりを示す痕跡が豊富にあることも教育林の魅力の一つです。

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教育林のヒノキアスナロ林

筆者は、教育林内を歩いているうちに奇妙な穴ボコがあることに気づきました。
森の中には意外と多くの穴ボコがあります。
その多くは風倒木痕で、中には人工物としか思えないようなきれいな三日月形のものもあります。

教育林内の謎の穴ボコ
ところが、教育林内の穴ボコの中にはどうみても風倒木とは思われないものがあります。
多くの風倒木が三日月形のような形状で、片側に盛土されたようになるのに対して、ほぼ円形のくぼみとその周りにドーナツ状の盛土がある不思議な穴ボコがあります。

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謎の穴ボコの一つ(撮影:水本絵夢)

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ヒノキアスナロ林内の謎の穴ボコ(撮影:水本絵夢)

穴の直径は1m〜1.5m、盛土の外側の直径は2m〜3mです。
盛土が完全にドーナツ状に周るものもあれば、一箇所だけ切り欠いたように盛土が「C」の字のようになっているものもあります。

結論から言うと、私はこの穴ボコは炭焼窯の跡ではないかと考えています。
盛土の一部が切り欠いたようになっているのは焚口だと思います。

謎の穴ボコとヒノキアスナロ
炭焼窯と思われる穴ボコを探して歩いているうちに、奇妙なことに気がつきました。
穴ボコはヒノキアスナロの林内かヒノキアスナロ林のすぐ近くに分布しているのです。

炭窯分布図

土橋自然観察教育林のヒノキアスナロ林と謎の穴ボコ

なぜこのことが奇妙なのかというと、炭焼きに用いられる木材はブナやナラのような重くて硬い広葉樹が理想的とされています。

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炭の原料や薪に最適なナラ

針葉樹ではマツ材の炭は火力が強く鍛冶用に用いられることがありますが、あまり一般的ではありません。
まして、教育林のヒノキアスナロは江戸時代から松前藩がの重要な財源となってきましたし、18世紀以降は伐採が禁じられ管理されてきました。
そのような貴重なヒノキアスナロを炭にして焼いてしまう、ということがどうも腑に落ちません。
では、なぜヒノキアスナロ林の近くで炭焼きが行われたのでしょうか?

炭焼きを利用した森林管理ではないか
現在、教育林内のヒノキアスナロ林は純林のようになっているところが多いのですが、かつてはヒノキアスナロと広葉樹の混交林のような景観だったのではないでしょうか。
昔の杣人たちは、混交林の中から広葉樹だけを選択的に伐採し炭焼きを行ったのではないかと想像します。
ヒノキアスナロと競合する広葉樹を伐採することでヒノキアスナロが優占する環境を作り出そうとしたのではないかと考えています。

炭焼き窯だとすればそれはいつ頃行われたのか
教育林内の穴ボコは、穴の底の直径が1m〜1.5mで炭焼き窯としてはとても小さいものです。厚沢部町内の里に近い広葉樹林内では多くの炭焼き窯と思われる穴を見かけますが、穴の底の直径は2m以上あります。

また、私が聞き取りをした範囲では、近代に教育林内で炭焼きが行われたことはないようです。明治以降、教育林とその周辺は御料林として江戸時代以上に厳しく管理されてきたと考えられ、そうした林内で炭焼きが行われることは考えられない、とかつての教育林を知る方々は口を揃えます。

明確なことはわかりませんが、あまり見かけない小型の穴であること、教育林内で明治以降、炭焼きが行われた可能性が低いことなどから、謎の穴ボコは江戸時代に行われた炭焼き窯の跡ではないかと考えています。

人と森の関わりの歴史をさぐりたい
ここまで推測してきたような、炭焼きが一種の育林として行われた可能性はすでに指摘があるようですが、実際に炭焼きが森林管理の一環として行われていた証拠が確認された例はないようです。もし、教育林の謎の穴ボコが炭焼窯であることが証明されれば、ヒノキアスナロの育林の一環として炭焼きが行われた可能性が高まります。

人と森の関わりの歴史を示す貴重な事例として、これからも謎の穴ボコを探して教育林内の探検を続けたいと思います。

<厚沢部町役場総務政策課(自治労檜山地方本部出向中) 学芸員 石井淳平>