2007年2月某所。大学院修了を間近に控えた飲み会の席で、考古学を専攻する大学院生だった私は、表題の問を理系学科の大学院生である友人たちから投げかけられました。やや逆ギレ気味に、「じゃあ、お前らの専攻にはいったいどんな意味があるっていうんだよ」、と問い返したところ、友人各位の答えは下記の通り非常に明快。
食品科学専攻Mさん「誰しも美味しいものを食べて、健康でいたいでしょ?」
材料科学専攻K君「軽くて丈夫な素材は現代生活になくてはならないものでしょう。」
情報工学専攻R君「ITなしでお前は生活でき(以下略)」
それに対する私の答えは、
「自分たちのルーツを知ることは大事なことだろう?」
友人たちが専攻する実学系の学問が、便利・快適というわかりやすい説得力を持っているのに対して、考古学の具体的な意義を示すことは難しいと痛感したことを覚えています。
その後、私は博物館に就職し、現在は帯広百年記念館で考古学担当の学芸員として働いています。上記の問がずっと記憶に残っていたため、自分なりの答えを少しづつアップデートしながら仕事に取り組んできましたが、友人たちを納得させられるような答えには未だ到達できずにいます。
遺跡や遺物(埋蔵文化財)は、「国や地域の歴史と文化の成り立ちを明らかにするうえで欠くことのできない国民の共有財産」として、文化財保護法で守られています。国や地域の成り立ちを明らかにすることは、今を正しく理解して未来を描くために必要不可欠なことです。しかし、そうは言っても、「たとえ古代文化が全滅しても、私たちの生活自体は困らない」、と思う方の方が多数派ではないでしょうか。そのような方々も納得できる、実生活に即した具体的な答えを示すことは非常に難しいことですが、近年の少子高齢化に伴う社会の変化と価値観の多様化のなかで、埋蔵文化財の価値が非常に注目されるようになっています。
埋蔵文化財は、はるか昔に、現代の私たちとは全く違った方法で、地域の自然と共に生きた先人たちの暮らしや価値観を今に伝えてくれます。私たちのやり方が絶対ではなく、もっと別のやり方だってあるということを教えてくれる、そのような「現代の相対化」にこそ、考古学の真価を見いだせるのではないかと感じているところです。
さて、帯広百年記念館での私の主な仕事は、土木工事等開発行為の際に、その土地に遺跡が有るか無いかを確認する埋蔵文化財調査です。住所と遺跡台帳との突合せによって回答できるケースから、現地踏査や実際に穴を掘って確かめる試掘調査が必要になるケースもあります。調査によって遺跡があることが分かり、遺跡の破壊が免れない場合には発掘調査を行うことになりますが、発掘調査に至るケースは帯広市ではここ10年ほどありません。
帯広市が位置する十勝平野では、十勝川とその支流によって形成された河岸段丘が何段にもわたって発達しています。市内で現在確認されている63ヵ所の遺跡の多くはこの段丘の縁辺部にあります。農地整備等によって段丘は緩斜面となり、原地形が残る場所は少なくなりましたが、畑の真ん中や神社・お寺の裏などにぽつんと残っていることがあり、そこで新たな遺跡が発見されることもあります。最近2年間でも4件の新規発見がありました。
これらの調査業務と併せて、当館では国指定重要文化財「八千代A遺跡出土品」や大正3遺跡出土の北海道最古の縄文土器をはじめ市内の発掘調査で出土した多くの考古資料を収蔵しており、これらの適切な保存・活用を図ることも大切な仕事です。地域の埋蔵文化財を確実に次世代へ継承するために、日々仕事に取り組んでいます。
〈帯広百年記念館 学芸員 森 久大〉