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種馬牧場の記録・国有種牡馬台帳 【コラムリレー第21回】

daityou sehuto

写真は明治40年に浦河町西舎(にしちゃ)に設置された国有日高種馬牧場に繋養された国有種牡馬(しゅぼば)台帳に記録されたセフト号のものです。

 セフト号は昭和12年に英国で購入され日髙種馬牧場に入場、同25年に死亡するまで、300頭の産駒(さんく)を輩出しまた。産駒には日本ダービーを制したトキノミノル、ボストニアンや天皇賞馬のシーマ、タカクラヤマなど多くの活躍馬を送り出し、種牡馬としても昭和22年から5度のリーディングサイアーに輝くなどサラブレッド生産に大きく貢献しました。 

 日高種馬牧場は種馬牧場業務(繁殖牝牡馬を配して全国に配付する国有種牡馬の充実に努める。)のほか種馬所業務(国有種牡馬を配して民間牝馬と交配させて改良繁殖を図る。)を担い、台帳は両業務に係る国有種牡馬一覧で、馬名、馬種、産地、購買年・価格や血統等の情報のほか、種付成績が記載されます。記入される種付成績は、年ごとに作成される種付状況を記録した国有種牡馬種付台帳、国有繁殖牝馬台帳、民有牝馬種付台帳を元に記載されています。そして牧場を退場した種牡馬には赤線が引かれ、備考欄に移動先が記載されます。同様の台帳は国有繁殖牝馬にも作成され、台帳には産駒の生年月日、馬種、などの情報が記載されています。 

種馬牧場の設置は、日清・日露戦争において日本の軍馬が諸外国に比べて資質・能力が著しく劣っていたことから、軍馬の改良が重要視され、馬政第一次計画が策定され、全国に種馬牧場3ヶ所、種馬所15箇所、種馬育成所1箇所を設置されました。

施設は国有種牡馬の充実、国内馬の改良・繁殖を図り、産馬事業の発展に努めることを目的として業務が進められ、計画は概ね達成されましたが、第一次計画を継承して、第二次計画を実施するも、昭和20年の敗戦により計画は終了となりました。 

日高種馬牧場は昭和21年に「日高種畜牧場」に改称され、乳牛への事業転換がなされる中、昭和42年には種馬業務も廃止となり約60年にわたる改良・生産事業が終了となり、平成5年に閉場しています。 

(浦河町立郷土博物館 伊藤昭和)