1939年に柳田国男が著した「酒の飲みようの変遷」(原題「民俗と酒」)という文章があります。
その中で柳田は、
(1)半世紀前に比べて一人あたりの飲酒量が減っている
とのべ、その原因を
(2)酒を飲む機会が増えたため、一度に飲酒する量が減ったこと
(3)酒を飲む機会が増えたのは、「瓶詰小売法」によって「僻村」でも酒が手に入りやすくなったこと
と整理しています。
「最近の若者は酒を飲まない」といわれるようですが、わが国ではすでに100年以上、酒を飲まなくなる傾向が続いているようです。
越後産の焼酎徳利
柳田のいう「瓶詰小売法」の元祖ともいえるのが、幕末から明治初期に北海道内にたくさんもちこまれた越後(新潟県)産の焼酎徳利です。
北海道内では、根室市の穂香川右岸遺跡、斜里町のオンネベツ川西側台地遺跡、苫小牧市の弁天貝塚など、漁場に関係する遺跡からたくさんの越後産焼酎徳利がみつかっています。
多くの人びとが働く漁場では、幕末の北海道東部のような「僻村」中の「僻村」までも焼酎が運ばれていたことがわかります。
「個人で飲む酒」・「味わう酒」の出現
2013年10月に厚沢部町字上里の大山祇(おおやまずみ)神社境内のお稲荷さん跡(明治8年建立)で採集した越後産の焼酎徳利は、農山村へ「瓶詰小売」の酒が流通しはじめた頃の様子を示す貴重な資料です(冒頭写真)。
柳田国男は、「瓶詰小売法」の出現の背景には酒の飲み方の変化があったと指摘しています。
それは、「集団で飲む酒」から「個人で飲む酒」、「酔う酒」から「味わう酒」への変化です。
厚沢部町のような農山村においても、明治の初め頃には徐々に「個人で飲む酒」、「味わう酒」が越後産焼酎徳利とともに現れたのかもしれません。
参考文献
柳田国男 1979「酒の飲みようの変遷」『木綿以前のこと』岩波文庫(初出 1939「民俗と酒」『改造』)
<厚沢部町教育委員会 学芸員 石井淳平>