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版画刷り師・赤川勲の仕事と故郷に残した遺産【コラムリレー第43回】

はじめに

 

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赤川勲[あかがわいさお](1940-2006)氏は今金町出身の版画刷り師で、赤川版画工房主宰として国内外の著名作家の銅版・石版作品を数多く手がけられました。

氏は晩年、故郷で版画制作に取りかかろうと機材一式とともに今金町に移住し、併せて町へ238点の版画を町に寄贈されました。当時、作品の受入・整理を担当した私は、版画や美術に門外漢でありましたが、赤川氏は普段の会話の中で優しく教示くださいました。

赤川氏は多くの名画を版画にすることで、絵の素晴らしさを広く伝えることに心血を注いだ版画刷り師だった。それが強烈に印象に残っています。

本コラムでは寄贈品の概要を紹介し、氏の業績を多くの人に知っていただくとともに、貴重な遺産の活用につながればと思います。


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赤川勲プロフィール

 

1940年 北海道瀬棚郡今金町で製材所の五男として生まれる。
1958年 北海道今金高校卒業。
1959年 東京芸術大学美術学部絵画科油絵専攻入学。
1963年 栃木県慈生会光星学園主事。その後、銅版画は駒井哲郎、石版画は脇田和に師事。
1972年 ガストンプチ・アトリエ(東京)でデザイン制作助手をつとめる。
1975年 神奈川県川崎市に赤川版画工房を設立。著名作家の銅板・石版作品を数多く手がけるとともに、多くの人材を育てる。フランス・パリ郊外シャルトル市にアトリエ・アカガワを設立。愛知芸術大学、東京純心女子短大、東京芸術大学の講師をつとめる。
1999年 網膜内出血を患い一時は失明状態に陥るが、手術で奇跡的に視力を取り戻す。
2002年 「作家としての、人生の集大成を故郷で」と出身地の今金に移住。廃校になった豊田小学校を利用し、制作活動の準備にとりかかる。
2003年 豊田ふれあい交流施設(旧豊田小学校)内に第二の「赤川版画工房」を開設も、体調を崩し闘病生活に入る。
2006年 永眠。

 

 

赤川版画工房について

 

赤川版画工房は1975年から川崎市中原区に所在。当時は30名のスタッフを抱え、規模の上で日本を代表する版画工房として知られていました。版種は石版と銅版の2種があり、石版ではハンドプレス機等の印刷機を6台、銅版では3台を所有していました。

 

川崎市の工房で説明する赤川氏

川崎市の工房で説明する赤川氏

 

工房稼働時につけられていた銅製の看板。この工房で多くの作品が制作された

工房稼働時につけられていた銅製の看板。この工房で多くの作品が制作された

 

2003年、豊田ふれあい交流施設内に開設した第二の工房では、版画印刷が可能な機材一式が完備されましたが、残念ながら本格的な活動を前に入院、その後逝去されました。

 

豊田ふれあい交流施設(旧豊田小学校)にあった赤川版画工房

豊田ふれあい交流施設(旧豊田小学校)にあった赤川版画工房

 

今金町教育委員会では、北海道教育大学岩見沢校(美術教育課程)と連携をとり、地元豊田地区住民や今金中学校美術部を巻き込んだ「とよたアートスクール」(宿泊型体験事業)を実施するなどし、工房の有効活用を図ってきました。

 

 

寄贈作品の内容

 

寄贈作品は83名の原作者の作品からなっており、内訳は日本画家44名、洋画家31名、版画家3名、グラフィックデザイナー2名、彫刻家1名、童画家1名、絵本作家1名です。

寄贈作品リスト、原作者の内訳等はこちらをご覧ください。

www.town.imakane.lg.jp/modules/cont_edu/index.php/content0059.html…

 

上記一覧の通り、著名画家が数多く名を連ねていることからも、赤川氏が版画刷り師として確かな技術をもち、原作者から厚い信頼を得ていたことが窺われます。また、自らの絵を版画にする際は、多くの作家が赤川版画工房を指定した、というような話も伺ったことがあります。

なお、寄贈作品中最も数が多いのは森田曠平作品で51点あり、森田氏との親交の深さが窺い知れます。次いで多いのは中村清治作品で18点、後藤純男7点、岩澤重夫7点等と続きます。

すでにお分かりのように、赤川氏の版画は既発表の日本画や洋画等をモチーフとし、原作者の了解を得た上で印刷されたものです。これらは気軽に名画と出会うきっかけを与えてくれるだけでなく、原作の油絵や日本画とはひと味違った色彩や線のタッチなど、版画特有の魅力も十分に楽しめるものとなっています。

寄贈作品のほとんどに「B.A.T.」というサインがついています(下写真)。

 

B.A.T.は「最適の刷り」で、原作者がつけるサイン

B.A.T.は「最適の刷り」で、原作者がつけるサイン

 

これは「最適の刷り」という意味で、原作者が印刷に立会い、その仕上がりを最適なものと認めた時につけるサインです。B.A.T.は本格的に印刷する際の基準、つまり見本となるもので、工房の刷師は色・刷り具合などがB.A.T. と同じくなるようにし、その差が大きいものは破棄され、B.A.T. は記録として工房で管理・保存されます。

町への寄贈作品は、かつて川崎市にあった赤川版画工房で制作された数多くの版画の見本として、工房で大切に保管されていたものだったのです。

 

 

版画作品・関係資料の現状

 

版画作品は現在、今金町立今金中学校の空き教室1室にまとめて保管しています。作品の貸出事業は2007年から行っており、役場庁舎をはじめ公共的な施設(民間宿泊施設や病院等)で定期的に展示替えをしながら活用しています。恒例の町民文化祭でも10点前後を展示に出し、町民の目に触れるようにしています。

中学校への移転はつい先日(12/18)のことでしたが、これは市街地から遠い豊田地区では活用が難しいことから、中心部の中学校に移転し、教育的な観点から生徒や来校者が版画作品を日常的に鑑賞できるようにしたものです。今後、美術部員が部活動の一環として、廊下壁面で定期的に展示替えすることになっています。また、廊下脇のフリースペース7か所には、実際に赤川氏が使用した石版、印刷用具等を展示しています(下写真)。

 

今金中学校内での展示① 印刷工程に関するもの

今金中学校内での展示① 印刷工程に関するもの

 

今金中学校内での展示② 石版とその石版で刷られた版画

今金中学校内での展示② 石版とその石版で刷られた版画

 

ハンドプレス機等の印刷機については、赤川氏のご親族の了解のもと、教育関係機関に有効活用してもらうことが最良であることから、すでに北海道教育大学岩見沢校、旭川校にそれぞれ複数台譲渡され、活用されているところです。

 

 

今後の活用に向けて

 

現在、一般向けの収蔵品目録「赤川勲 版画の世界」を印刷製本中で(2月末納品予定)、これが完成すれば、在校生をはじめ来校者や住民、興味関心のある方への普及が格段に進むものと期待されます。完成の折には本ブログでも何らかの形で閲覧可能なように情報提供したいと考えております。

また、「うちの施設で展示したい」というような借用希望等ありましたら、ぜひご連絡、ご相談ください。今金町出身の刷り師・赤川勲の仕事を多くの人に知っていただきたいと思います。

 

<今金町教育委員会 学芸員 宮本雅通>

 

次回の投稿者は、様似町アポイ岳地質研究所の新井田さんの投稿です。お楽しみに!!