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庭にたたずむ石像が語るもの

【コラムリレー08「博物館〜資料のウラ側」第14回】

ここは岩見沢市郊外に建つ岩見沢郷土科学館。広々とした前庭には初夏の日差しが降り注ぎ、芝生やポプラの緑が風にゆれています。そんな風景の中に二人の人影が見えます。

岩見沢郷土科学館の前庭。中央左に白、右端に灰色の像が建っています。

世界遺産としても有名な、兵士や馬などをかたどった中国の「兵馬俑」を模した石像です。

兵馬俑を模した石像

なぜ、ここに兵馬俑の石像があるのでしょうか。当館の所蔵資料ではなく、詳細を知るスタッフもいません。しかし当館のすぐ前にあり、当館が岩見沢の歴史を扱う施設である以上、「知らない」と簡単に片づけるわけにはいきません。さっそく調べてみることにしました。

国際交流の証人

「兵馬俑の石像は、昔、いわみざわ公園で開催したイベントで飾ったものだ。」という証言を得て、過去の行事を調べることにしました。いわみざわ公園は、キャンプ場やバラ園を含む約183ヘクタールの大きな公園です。岩見沢市所蔵の写真アルバムをめくったところ、一枚の写真を見つけました。

「金絲猴と世界の猿のなかまたち」の会場の様子(岩見沢市所蔵)

拡大してよく見ると、道の両側に白と灰色、2体の石像が置かれています。行事の名前は「金絲猴と世界の猿のなかまたち」。(金絲猴はキンシコウと読みます。以下、金絲猴展と呼びます。)1988年(昭和63年)7月2日から同年9月25日までいわみざわ公園と西安動物園(中国)の友好提携を記念して開催され、中国に生息するキンシコウなどの動物が展示されました。兵馬俑の石像はこの会場に飾られ、会期終了後に現在地へ移設されたものでした。

当時の岩見沢では、中国との国際交流が継続的に行われていました。1986年(昭和61年)に市内で開催された北海道21世紀博覧会では、実物の兵馬俑や中国の朝陽市の文物が展示され、パビリオンの中で最も人気を集めました。その後も岩見沢からの訪中団派遣のほか、朝陽市の使節団が市内小学校や幼稚園を訪問するなど交流が続けられ、金絲猴展もこの交流事業の流れに位置付けられます。兵馬俑の石像は、昭和の岩見沢の、特に国際交流の一場面を語る証人だったのです。

常設展示室に関連資料あり

先の写真が収められたアルバムをさらにめくると、もう一つ興味深い写真がありました。二頭のレッサーパンダの写真です。

「金絲猴と世界の猿のなかまたち」でのレッサーパンダ(岩見沢市所蔵)

金絲猴展では雄雌二頭のレッサーパンダも展示され、会期終了後に西安動物園からいわみざわ公園へ寄贈されています。二頭は同公園で大切に飼育され、遺体は剥製として当館で常設展示されることになりました。つまりこの写真に写されているのは、当館の常設展示室にある剥製の「生前の姿」です。レッサーパンダの剥製については、展示の経緯を説明する解説パネルを設置していますが、「岩見沢にレッサーパンダがいたとは想像できない。」というご感想をいただくことも少なくありません。そうした中、この写真は当時の様子を伝えるとともに、中国との交流の証としてレッサーパンダがいたことを示すうえで重要な一枚と言えるでしょう。

終わりに

今回、前庭の石像はレッサーパンダの剥製と同様、地域の国際交流の歩みを語ってくれる歴史資料であった、と位置づけることができました。ごく小さな事例ですが、当館で地域の出来事を調べ直し、資料に関する新しい情報や側面を見出そうとする活動の様子をご紹介できたかと思います。当館では、今後も皆様からのお問合せを含め「地域で何があったか?」「それはなぜか?」という疑問を調べてまいります。

<岩見沢市教育委員会 学芸員 神田いずみ>