150年、人生に比するととても長く感じますが、歴史という視点で見ると短く感じる微妙な時間。開拓使が置かれ北海道と呼称を定めた150年前の出来事は、良し悪しは別として北海道に新たな社会が構築されるメルクマールとなったことは間違いありません。
さて、人と時代という二重のパラダイムシフトが続いたのがこの150年とみると、アイヌ民族だけでなく、移住者たちも多くの風習や文化を捨て、または変容し時代の荒波を乗り越えてきたと言えます。試行錯誤や紆余曲折の中で記録された情報は限られており、そこから弛まぬ努力によって北海道史を編み上げた先達の功績により、陰に隠れてしまった事象も多数存在することを忘れてはならないでしょう。
毎回ではありませんが、これまでに行った調査研究活動の中でも、こうした事象と出会っています。
例えば、北海道開拓の村に移築された旧信濃神社に関する調査で確認した、旧高嶋藩である長野県諏訪地方からの移住団体「高島舎」の名前。札幌県に提出した資料の中でしか確認できず、しかも団体ではなく各自で願い出るようにと指示を受けたため、その後も使用されることのなかった団体名ですが、移住にかける思いと計画を確認できる貴重な資料でした。
また、同調査で出会った奇祭「御柱祭」についても、道内での実施例が無いか探していたところ、昭和初期に北海道本別町で催行されたことを確認。太平洋戦争により途絶えた幻の地域行事となったことを紹介することができました。
現在手掛けている天然氷に関する調査においても、証明に足る資料が無いまま幾つかの説を論拠とし、定説が創り上げられたかのような事例があり、中川嘉兵衛による函館氷=龍紋氷のような読み替えが広まったと考えられるなど、誤った伝統を正す必要性を強く感じています。
たかだか150年、されど150年。いま取り組まないと、振り返る機会を与えられないままに消えてしまう歴史が増えていくことでしょう。 北海道の歴史を伝える役割の一端を担う者として、消えゆく物語に気付き光を当てることができるか否か。まだまだ出来ることが残されていると、尻を叩かれている気持ちさえする「北海道150年」です。
北海道開拓の村 学芸員 細川 健裕