石狩浜の風景。春になると海辺の砂浜から砂丘にかけて青々とした葉を長く伸ばし、6月に穂をつける海浜植物がみられます(図1)。ハマニンニク(学名: Leymus mollis)と呼ばれるイネ科の多年草で、石狩浜では葉の長さが60〜80cm程、長いもので1m前後に達します。別名にテンキグサ、アイヌ語名ではムリッやモロチなどがあり、江戸・明治期の記録によると、蝦夷地や千島列島で、アイヌの人々がこの草を用いて縄を編んだことや「テンキ」と呼ばれる小物入れが作られていたことがわかります。実際にこの葉を採取して乾かすと、青々とした平たい葉が細く丸まり、さらによく乾燥させると光沢のある淡い黄金色に変わります(図2)。
さて、コラムリレーのテーマにある「北海道150年」を焦点に、ここでは、主に明治以降に博物館等で収蔵されてきた実物「テンキ」と、明治以前(江戸後期)の絵図に描かれた「テンキ」の両者を見てみます。
各地の博物館に収蔵されている「テンキ」の実物資料には、コイリング(巻編み)技法で作られた容器状で蓋付きの小物入れが多くみられます(図3)。編目が一目ずつ緻密に巻かれているのが特徴で、とても精巧に作られています。これらは、主に明治以降の19世紀後半から20世紀前半に千島列島で収集されたものが中心で、ハマニンニクをコイリング技法で編んだものづくりは、道内では一般的ではなかったようです。この他に、袋状の小物入れに仕上げたものもいろいろあります。これらを含めて「テンキ」と呼ばれることもありますが、袋状のものは、単に「物入れ」「鞄」の資料名や、アイヌ語名「サラニプ」などで収蔵されていることもしばしばです(図4)。
一方、江戸後期の18世紀後半に記された「テンキ」の絵図をみると、袋状の小物入れを描いたものが目立ちます。例えば、谷元旦の『蝦夷記行図』(1799)にある「テンキ図」もその一つです(図5)。縦方向の編み目が何段も並び、そこにXXXによる編み目を入れ、袋口にはアーチ状の紐編みを施しており、もじり編みによる袋状の物入れと考えられます。
なぜ、江戸後期の「テンキ」の絵図には袋状の物入れが描かれ、容器状の小物入れではなかったのでしょうか。当時の複数の記録から、千島列島で作られた「テンキ」が優れたものであることが知られていたことは確かですが、コイリング技法の蓋付き小物入れが描かれていない点は気になります。この要因はまだよくわかっていませんが、明治以降については、博覧会などの収集のなかで、特にコイリング技法による精巧な小物入れが千島特産の工芸「テンキ」として認識され、広く知られるようになった可能性が考えられます。
今から150年前を節目とした北海道および周辺地域の時代の流れとともに、植物を利用したものづくりの変遷を考えながら海辺の風景を眺めてみると、何気ない植物もまた感慨深く見えてきます。
〈石狩市 学芸員 荒山千恵〉
参考文献
荒山千恵 2018「口絵4 テンキ製作の材料ハマニンニク」『いしかり砂丘の風資料館紀要』8, ⅵ−ⅶ頁.
荒山千恵 2016「ハマニンニクの利用と「テンキ」—18世紀後半の絵図・記述を中心にしてー」『北海道民族学』12, 50−59頁.
市立函館博物館編 2015『市立函館博物館平成27年度特別展展示図録 千島樺太交換条約とアイヌ』.
谷元旦 1799『蝦夷記行図 下』北海道大学附属図書館/北方資料データベース.
北海道大学北方生物圏フィールド科学センター植物園編 2008『北大植物園資料目録』6.
〈石狩市 学芸員 荒山千恵〉