美幌峠の麓、美幌町の古梅地区には石切川という名の河川がある。「石切」と言う名前が示すとおり、古梅地区周辺では軟石の切り出しが盛んだった時代がある。大正時代、美幌町内の各地で金鉱探しが行われた際、石材に適した溶結凝灰岩が偶然発見された。昭和の初め頃、それを「古梅軟石」として切り出し、門柱・土台石・墓石・倉庫などの材料としたという。昭和14年には海軍航空隊の美幌飛行場等の基礎とするために大量に切り出された。大勢の労務者が現地に入り、発破をかけて岩を砕き、割栗石として使ったという。戦後になり、古梅軟石の利用拡大を図るため、軟石による公営住宅建設が試験的に行われたが、結露などの構造上の問題を解決できなかったため、建設戸数は10戸に留まった。その後、軟石の切り出しは需要の減少とともに行われなくなっていった。
古梅軟石の採掘跡は、現在でも古梅周辺の林道沿いで見ることができる。国道243号線から美幌川沿いの新宮林道に入る。林道脇には既に溶結凝灰岩の大きな落石が目につく状況である。
奥に進んでいくと、川を挟み向かい側に軟石の採掘跡が見られた。更に林道を進んで行くと道路脇にも採掘跡が見られた。このような軟石採掘跡が、古梅周辺の林道沿いのあちこちで見られるのである。
古梅の森の中では、軟石を利用した構造物も見ることができる。軟石を積んで作られた導水路である。この遺構は美幌川で取水した水を800メートルほど下流にある水力発電所跡に水を送るために使われたものである。
この導水路の取水口は美幌川と石切川の合流点付近で見られる。取水口の脇には「水天宮」碑が祀られている。この取水口から毎秒0.7立方メートルの水が発電所に送られたという。取水口から森の中を進む導水路の一部は、既に崩れてしまっている。
導水路の終着点には、コンクリートで作られた発電所跡が残されていた。この施設は、昭和8年から昭和40年まで古梅で製材事業を行っていた新宮商行が、昭和13年に設置したもので、45キロワットの発電能力を有していたという。発電所周辺には、パルプ工場が併設されていたが、現在ではコンクリートの基礎が残っているだけである。
現在、古梅地区は静かな農村地帯となっている。そして、軟石採掘跡や水力発電所跡は深い森の中に沈み、人々の記憶から消えつつある。美幌の歴史を語る上でも貴重な地域の遺産がこれ以上風化していかないよう、後世の人々に伝えていく努力を続けていきたいと思う。
<美幌博物館 学芸員 八重柏 誠>