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これ、いつの地図?市街地図を読むウラ技

コラムリレー08「博物館〜資料のウラ側」第22回

知床博物館の市街地図

斜里町立知床博物館では3枚の市街地図を展示しています。
住んでいる人々の名字やお店がびっしりと書き込まれたこれらは、
・鉄道が通った1929(昭和4)年発行の「斜里市街明細図」(以下、29地図)
・人口のピーク期である1964(昭和39)年度版の「斜里町全戸別明細図」(以下、64地図)
・現在の市街地とほぼ変わらない姿となった1975(昭和50)年購入の「斜里町戸別明細図」(以下、75購入地図)
と、斜里の風景の移り変わりをわかりやすく伝えています(写真1)。
展示中の地図の発行時期は、地図そのものに印刷されていたり、購入時期がメモ書きされていたりしていて、だいたい特定できます(写真2)。

【写真1】知床博物館展示室。左から29地図、64地図、75購入地図。
【写真2】2-1:29地図ウラ面/2-2:64地図/2-3:75購入地図

しかし、収蔵庫には製作時期不明の地図がまだいくつも眠っています。
今回は、地図上の風景と文字情報の「ウラ」付けをとる、「ウラ」技をお伝えします。

手がかりは●●住宅!

2024(令和6)年に知床博物館に寄贈された「斜里町戸別明細図」(以下、新収蔵地図)は、75購入地図より新しく見えますが、発行時期は不明です(写真3)。
まず、一番わかりやすいものとして、建物に注目してみたところ、1988(昭和63)年開校の朝日小学校はすでにありますが、1993(平成5)年に博物館に併設された姉妹町友好都市交流記念館はまだできていません。
どうやら、この間のどこかのタイミングがモデルのようです。

さて、ここからがウラ技!
ここで活躍する秘密兵器が、学校の記念誌です(写真4)。
周年や閉校にあたって発行された記念誌には、歴代の先生の名前がリスト化されています。
地図に記された教員住宅を見ていけば、時期をしぼれるはずです。
記念誌によると、斜里小学校の1988年から1993年の校長先生は、
1987(昭和62)年4月〜1990(平成2)年4月 村上校長
1990(平成2)年4月〜1993(平成5)年3月 中島校長
1993(平成5)年4月〜1996(平成8)年3月 高橋校長
の3人です。

【写真3】新収蔵地図
【写真4】町内の学校の記念誌(一部)

このうち、教員住宅には「中島」先生の名があり、他の2名の名がないため、1990年から1993年にあたりをつけ、他の先生方を確認してみます(写真5)。

【写真5】新収蔵地図の斜里小学校教員住宅

すると…
・「小林」先生が同時に2名在籍するのは1991(平成3)年4月から
・「加藤」先生と「畠山」先生が同時に在籍するのは1992(平成4)年3月まで
ということがわかりました。
さらに、この地図のウラ面には郡部の情報も掲載されています(写真6)。

【写真6】新収蔵地図裏面「斜里町農村戸別明細図」

市街地から離れた大栄小学校のそばの住宅に、1991(平成3)年10月まで在任していた庄内校長の名があったことから、この地図が1991年4月から10月までの情報を反映した可能性が高いことを突き止めることができました。

資料の正体を突き止めるには「ウラ」が大事

凄まじい量の文字情報が詰まった地図のような資料でも、その正体を突き止めるには「ウラ」の調査が重要になります。
文献にあたることはキホンのキ、ですが、職員住宅への注目というウラ技は、私が知床博物館で採用されてまもなく、前教育長から教わったものです。
町の教育全般を見渡してきた先輩の存在という、「ウラ」からの支えによって、知床博物館に新たなメソッドが加わりました。
地域の歴史に興味津々の皆様、このウラ技、どうぞご活用ください!

斜里町立知床博物館 学芸員 三枝大悟