千歳湖から流れる美々川に架設された植苗橋の真正面に小高い丘がある。
国道36号線に面したこの丘を、縄文時代~アイヌ文化期の人々が利用していたのをご存知だろうか。
「タプコプ遺跡」と呼ばれるこの遺跡は、苫小牧で最初に注目された遺跡で、昭和15年5月の『苫小牧町史』において、すでに出土遺物とともに紹介されていた。
本格的な発掘調査は、昭和38年、当時北海道大学講師であった大場利夫氏と、門別中学校教諭の扇谷昌康氏らによって行われ、アイヌ墓と縄文時代中期の墳墓が検出された。
その後、昭和40年まで小規模な発掘調査が3回行われ、縄文時代の土器や続縄文時代の墳墓、人骨などが確認されている。大規模な発掘調査は昭和58年にようやく、苫小牧市教育委員会と苫小牧市埋蔵文化財センターが主体となって行われたのであった。
このタプコプ遺跡の最大の特徴はなんといっても、続縄文期の墳墓群である。遺跡からは墳墓が42基も検出され、そのうちの9基が恵山期で、不明の1基をのぞいた32基が後北式の墓となっている。つまり当時の苫小牧には、恵山式土器文化と後北式土器文化が前後しながら栄えており、彼らは同じ場所に墳墓を形成したのである。
さて、この墳墓群の中で特異な墓が1基だけある。それは恵山期に形成された30号墳墓と呼ばれる墓である。墓の中からは、鉄片の付着した大型の台石(写真)や剥片、大型の壺、石鏃、石皿などといった副葬品が豊富に出土している。
特に鉄片が付着した台石の出土は、当時の鉄器利用を考える上で重要なものである。
そして、数ある30号墳墓の副葬品で一番の”目玉”は、なんといってもクマ形意匠の貼付を持つ土器である。
クマはボール型の土器の口唇部に、土器の中身をのぞきに来たような格好で貼りついており、とても可愛らしい。体には短線刻を施して、体毛を表現している点に続縄文人のこだわりを感じる。
このクマ形意匠を持つ土器は道内でも例がほとんどなく、とても珍しいものである。続縄文人は一体何を想いながら、土器にクマを施したのだろうか。
現在、遺跡は草木にすっかりと覆われ、国道を走る車をひっそりと見守っている。地元の方と話していても、「あそこが遺跡だとは知らなかった」という方も多い。
タプコプ遺跡は苫小牧における続縄文文化を理解するうえで欠かせない遺跡のひとつであり、ぜひ、地域の遺産として大切にしてもらいたい。遺跡を整備するのは困難であるが、博物館の学芸員としてタプコプ遺跡の大切さを伝えていくことは可能である。今後、多くの方々に遺跡の情報を発信していきたい。
〈苫小牧市美術博物館 佐藤里穂〉