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「東洋の名ハンター」の残したヨタカ-折居彪二郎の鳥類標本-【コラムリレー第34回】

「よだかは、実にみにくい鳥です。顔は、ところどころ、味噌(みそ)をつけたようにまだらで、くちばしは、ひらたくて、耳までさけています(後略)」これは、宮沢賢治の童話「よだかの星」の冒頭部分です。この話に登場する「よだか」、実際は、どのような鳥なのでしょうか?折居彪二郎の採集した植苗のヨタカ

ヨタカは、北海道では夏の夜の森で生活をしています。夜行性で、暗くなると虫を採るために活動をしますが、日中は木の枝に上手に隠れるため、見つけるのがとても難しい鳥です。この写真のヨタカは、植苗で採集されたものです。植苗には、1991(平成3)年に「大規模なガンカモ飛来地」として、ラムサール条約登録湿地に指定されたウトナイ湖(ウトナイ沼)のほか、かつては大小の多くの沼や湿原、ハンノキ林が広がっていました。このヨタカも、まだ多くの沼地や林の残っていた原野を飛び回り、虫を食べていたのでしょう。

 このヨタカを植苗で採集したの世界的に有名な鳥獣類採集家、折居彪二郎(おりい ひょうじろう)です。折居氏は、1983(明治16年)に新潟で生まれ、函館へ転居・就職した後、苫小牧市の植苗に移住しました。当時、世界では生物学の発展が著しく、欧米諸国は「新種の発見」を競い合っていました。高い語学能力と猟銃技術を持っていた折居氏は、イギリス人の標本商、アラン・オーストンや、鳥類研究者の黒田長禮(ながみち)、山階芳麿(やましな よしまろ)らの依頼で、朝鮮半島、パラオ・ヤップ、サハリンなど諸外国を歩き、多くの新種を発見・採集し、日本や世界の鳥類学の発展に大きな貢献をしました。また。折居氏は北海道内でも、林野庁や北海道庁の委託などを受け、鳥類・哺乳類を採集したり、千歳や植苗周辺の調査を行なっていました。彼が国内外で採集した鳥類・哺乳類の剥製は、山階鳥類研究所、岐阜県立博物館、北海道大学植物園などに数多く収蔵されています。苫小牧市にも、昭和39年と41年に、苫小牧市青少年センター(現、苫小牧市科学センター)で、写真のヨタカをはじめ、カモ類などの鳥類25点の寄贈を受け、現在では苫小牧市美術博物館に収蔵されています。

 彼の残した海外の採集日誌は、国内の研究者間で結成された「折居彪二郎研究会」の手により活字化、現代語訳され、現在も資料の研究が続けられています。この採集日誌や折居氏の残した書簡、地図などの資料は、苫小牧市中央図書館に寄贈され整理・保管され、同図書館の郷土資料室にも折居彪二郎コーナーが設置されましたが、同図書館の指定管理者制度導入のため、資料は今年3月に当館に移管されました。 

 8月、学芸員実習に来た学生と一緒に、当館の常設展示室にも折居氏の残した剥製と地図の複写などを展示しました。とても小さなスペースですが、ご来館された方々が、多くの鳥類の飛来する苫小牧の自然や、そこに生きた人々の歴史を垣間見る機会になれば、と考えています。

(苫小牧市美術博物館 学芸員 小玉愛子)