「学芸員?博物館で働く人……ああ、受付や展示室に座ってる人のこと?」
筆者が市立博物館の学芸員として勤務していた時、職種を他人に説明すると、大抵このような言葉が返ってきました。来館者対応や展示解説も、全て博物館の大切な仕事です。しかし、それは一部でしかありません。博物館のコアとなる学芸員の仕事は、目立たない場所で繰り広げられているのです。
博物館法に定められた学芸員の役割は「博物館の資料の収集・保存、調査研究、展示などの教育普及」です。資料には、標本、道具、文書など「モノ」の他に、データ、音声記録など形のない「記録」も含まれます。筆者の仕事の領域は「地域の自然史(特に植物)の記録と収集」で、標本や文献、生育情報を集めて展示するとともに「聞き取り情報」も収集していました。
筆者の住んでいる苫小牧は海、山、河川に囲まれ、湿原が大小の沼が点在し、各地域で特色のある植生が入り乱れて広がっていました。開拓・入植、港湾の建設や企業の進出、河川や道路の大規模改修により、いわゆる“原風景”は姿を変えていきました。そのような風景は、どのように人の目に映り、そこに生えていた植物などの資源はどのように利用されていたのか、対話をしながら少しずつ情報をいただきます。砂浜か、乾いた場所か、じめじめした場所か、暗い森か…環境の手掛かりを得るため、感覚的な情報も引き出せるよう注意を払います。聞き取りの情報は、何かを引き金に引き出されることもあります。観察会中に「そういえば昔、この植物を利用していた」という話を参加者の方から聞かれることがありました。
聞き取りで得られた情報を裏付けるため、現場の現在の様子も観察します。土地利用や河川改修や造成により環境が変わっているため、周辺の現在の環境と古い地図・写真を、判断する必要があります。
そのような作業を繰り返しているうちに、見えてきたこともあります。湿原周辺に生育し、現在では小果樹としても利用されているハスカップ(ケヨノミ類)が、人の生活圏の近くにも自生し、地域によっては小さい子どもも気軽に採集できたことが分かりました。また、海岸の砂浜に生育し山菜としても利用されていたハマボウフウが、特定の時期に乱獲され、急激に個体数が減ったことも分かってきました。いずれも「いくらでも、いつまでも当たり前にあるもの」という心理がはたらき、気がつくと個体数も生育地も減少していた、という傾向があったようです。貴重な種の保存だけでなく、普通種の扱いについて問われているように感じた瞬間でした。
博物館の学芸員ではなくても、個人的に調査を行い資料を集める在野の研究者や、観察会を行っているネイチャーガイドやナチュラリストたちは沢山います。しかし集めた資料や情報を「精査し、地域の資料として地域の記録を作り、次の世代につなぐ」役割を担っているのは、博物館や資料館で働く学芸員たちです。どんなに小さくても残した記録は、次の世代に引き継がれていきます。今はすぐに評価されなくても、数十年後、重要な地域の記録として人々のマイルストーンとなりうるかもしれません。
今日も多くの学芸員たちが、地域の資料や情報を調査・収集し、展示や各種事業で多くの方に普及を行い、次の世代にバトンを渡すべく汗を流しています。目に見えない努力の結晶は、今すぐに目に見えるものではなくても、これからも続く自然史や歴史の礎になっていくことでしょう。
小玉 愛子(みちくさ研究所in苫小牧 代表)