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日高にも“ヒスイ”はあった! -縄文人も愛した?日高の“ヒスイ”のお話- 【コラムリレー第33回】

“ヒスイ”といえば,緑色で透明感があってきれいな石,勾玉などの材料の石,ヒスイの産地として有名な新潟県の糸魚川から運ばれてきた…など,さまざまなイメージがあると思います.そんな“ヒスイ“は,北海道の日高にもあったのです.日高で発見されたヒスイ-日高ヒスイ-(Fig.1)とは,どのようなヒスイだったのでしょうか.ここでは,日高ヒスイのでき方や鉱物の特徴,そして縄文時代の人とのかかわりなどを紹介します.

 

Fig.1. 日高ヒスイ原石(日高山脈博物館 蔵).周りの小さな岩石も日高ヒスイの原石.さながら,日高ヒスイの庭.

Fig.1. 日高ヒスイ原石(日高山脈博物館 蔵).周りの小さな岩石も日高ヒスイの原石.さながら,日高ヒスイの庭.

そもそもヒスイとは?

 

“ヒスイ”は,硬玉,軟玉の2種類に分けられます.

硬玉は,鉱物としては“ヒスイ輝石”で,輝石の一種です.軟玉は,鉱物としては “ネフライト”という角閃石の一種で,硬玉に比べるとやや地味な緑色をしています.新潟県糸魚川地方のヒスイなど,宝石としてのヒスイ(以下ヒスイ)は硬玉です.

ただ,ヒスイ輝石は元来無色透明で,純粋なヒスイは,ヒスイ輝石の細かい結晶が緻密な構造(綾織り構造)をしているため,白色に見えますが,ヒスイは緑色のイメージがあると思います.それは,ヒスイ輝石と,コスモクロア輝石やオンファス輝石などの緑色の鉱物とが緻密な構造をしているためです.他の色のヒスイも,不純物や他の鉱物が混在しています.正確に言えば,ヒスイは,ヒスイ輝石を50%以上含む“ヒスイ輝石岩”です.

 

日高ヒスイの発見

 

Fig.2. 日高ヒスイ発見を報じる当時の新聞切抜き(北海道新聞,昭和41年9月24日夕刊)

Fig.2. 日高でのヒスイ発見を報じる当時の新聞記事切抜(北海道新聞,昭和41年9月24日夕刊)

契機はおよそ50年前,1964(昭和39)年,当時函館在住の久保内寛一氏が,日高町の村上晃氏にヒスイの探索を依頼したことでした.

そして2年後の1966(昭和41)年,久保内氏,村上氏,高野玲子氏の3人が,日高町千栄で,ついにヒスイのような石を発見しました.北海道大学の八木健三博士と,ちょうど来日していたアメリカのコールマン博士が観察し,ヒスイと認定しました.これは新聞でも写真入りで取り上げられ,“日高でヒスイが採れた”と一躍有名になります(Fig.2).

 

日高ヒスイ発見後の経緯

 

発見された日高ヒスイは盛んに採掘され,装飾品用に加工するなどして昭和40~50年代に広く販売されました.しかし,日高ヒスイは,発見から3年ほどで採掘し尽くされたようで,その幕を閉じました.

その頃に日高ヒスイの研究がなされ,日高ヒスイは,鉱物としては,クロムを1%程度含んだクロム透輝石 [3][4]であることが判明しました.すなわち,日高ヒスイは,厳密には硬玉でも軟玉でもありません.ヒスイの定義に収まらないのです.

しかし,ヒスイのように織物状の構造をしていること,透明感や脂感のある緑の美しさがヒスイと遜色ないことを考慮し,番場猛夫博士(当時地質調査所)が,宝石学会誌に論文を公表しました [4].こうして,“日高ヒスイ”も国際的に宝石として認定され,“第3のヒスイ”として誇れるようになりました.

ところで,装飾品用に円磨加工され,世に広がった,宝石としての日高ヒスイを観察すると,クロム透輝石以外にも,ウヴァロバイト(灰クロムざくろ石)や,ペクトライト,緑泥石,透閃石などの角閃石類を観察できます.宝石としての日高ヒスイは,クロム透輝石を主体とし,種々の鉱物が緻密な構造を成す,クロム透輝石岩といえるでしょう(Fig.3).

 

Fig.3. 装飾用に円磨加工された日高ヒスイ(日高山脈博物館 蔵).特に,白色部はペクトライトやウォラストナイト,濃緑スポットは,ウヴァロバイト,黒色スポットはクロムスピネル.

Fig.3. 装飾用に円磨加工された日高ヒスイ(日高山脈博物館 蔵).特に,白色部はペクトライトやウォラストナイト,濃緑色スポット(鉱物)は,ウヴァロバイト,黒色スポットはクロムスピネル.

Fig.4 ロジン岩(日高山脈博物館 蔵).右の黒色部は蛇紋岩の部分.

Fig.4. ロジン岩(日高山脈博物館 蔵).原岩は不明.右の黒色部は蛇紋岩の部分.

日高ヒスイのでき方

 

日高ヒスイは,クロムスピネルという鉱物を含むロジン岩から発見されており,日高ヒスイの形成に,ロジン岩が大きな役割を果たしていることは明らかです.

ロジン岩は,肉眼では堆積岩とも火成岩とも判断できないことの多い,真っ白な岩石ですが,よく蛇紋岩を伴って産出しています(Fig.4).どうやら,蛇紋岩がロジン岩形成,しいては日高ヒスイ形成に影響しているようです.

蛇紋岩は,かんらん岩が地下深部で熱水などを受けて形成されます(蛇紋岩化作用).かんらん岩には,かんらん石や斜方輝石,単斜輝石,クロムスピネルなどの鉱物が含まれていますが,蛇紋岩化作用を受けると,かんらん石や斜方輝石,単斜輝石は,蛇紋石やブルース石などに置換されます.クロムスピネルは蛇紋岩化作用を受けても比較的よく残っている鉱物です.

ロジン岩は, 化学組成的には,CaOやH2Oに富み,SiO2やアルカリに乏しい岩石です [e.g. 8].かんらん岩が蛇紋岩化するときや,蛇紋岩に流体(熱水など)が作用するときなどに,かんらん岩や蛇紋岩に含まれるCaが流体と関与するなどして放出されます.特にかんらん岩に含まれる鉱物のCa は,かんらん石に0.1%ほど,斜方輝石に約0.5%,単斜輝石に約20%含まれています.これらが蛇紋岩化作用によって置換される鉱物は,蛇紋石やブルース石など,Ca をほとんど含むことができない鉱物が多くなります *1.そのため,かんらん岩や蛇紋岩に接する岩石へとCaが流体などに伴って移動し,その岩石中で透輝石,ハイドログロシュラー,ぶどう石やベスブ石,ペクトライトなどのCaを含む鉱物が生成され,元の鉱物を置換します.この作用によってロジン岩が形成されます.Caを多く含む鉱物は,肉眼で白っぽく見えるものが多いため,ロジン岩は白く見えます.ロジン岩については,もっぱら蛇紋岩に隣接する岩石について研究されています [e.g. 4,5,6].日高では,隣接する岩石として,斑れい岩や蛇紋岩に貫入している微閃緑岩,結晶片岩,砂岩や泥岩,礫岩などもロジン岩化しています *2

Fig.5. 変形構造をもち,日高ヒスイを含有する,ロジン岩化した蛇紋岩のテクトナイト(日高山脈博物館 蔵).鮮やかな黄緑色が日高ヒスイ.黒色スポットはスピネル.白色部はロジン岩質部.

Fig.5. 変形構造を有し,日高ヒスイを含有する,ロジン岩化した蛇紋岩質のテクトナイト(日高山脈博物館 蔵).鮮やかな黄緑色が日高ヒスイ.黒色スポットはクロムスピネルで,周囲にウヴァロバイトが生成している.白色部はロジン岩質部.

Fig.6. 日高ヒスイを含有しないロジン岩化した蛇紋岩質テクトナイト(日高山脈博物館 蔵).詳細は,東・加藤(2012)に報告されている.

Fig.6. 日高ヒスイを含有しないロジン岩化した蛇紋岩質テクトナイト(日高山脈博物館 蔵).詳細は,東・加藤(2012)に報告されている.

ところが,これらの岩石が起源のロジン岩には,クロムスピネルはほぼ含まれていません.クロムスピネルを含むロジン岩,すなわち,日高ヒスイを含む岩石が形成されるには,不適です.ロジン岩の近くにあって,クロムスピネルを多く含む岩石といえば,蛇紋岩しかありません.日高ヒスイは,蛇紋岩起源のロジン岩に含まれているのです.このことは,日高ヒスイにクロムが多く含まれていることにも整合的です.蛇紋岩のロジン岩化については,日高では,東・加藤 [1]などで報告されています.

ところで,番場 [3]によれば,蛇紋岩中で,クロムを含む緑泥石が形成される段階を経て,それがクロム透輝石に置換される条件下で形成されるとあります.日高山脈博物館所蔵の資料では,日高ヒスイが,変形を受けたロジン岩中の変形構造に沿って形成されているものがあります(Fig.5).東・加藤 [1]で報告された,日高で発見されたロジン岩化した蛇紋岩のテクトナイト(Fig.6)は,300℃前後で形成されたと考えられます.これは,温度圧力条件や鉱物含有条件などで日高ヒスイ形成に至っておらず,番場 [3]の述べる,クロム緑泥石形成段階付近に変形が起こったことを示す可能性があります.このようなロジン岩は,日高ヒスイの生成を考えるうえでの重要な試料となります.

 

*1:蛇紋石もわずかばかりCaを含みます.また,単斜輝石などは,蛇紋岩中でもCaを含む透閃石などに置換されることも多く,蛇紋岩中にも一定のCaは含まれています.

*2:これらはロジン岩を観察した時にそれぞれの岩石の組織などが残っていることから判別します.化学分析では,起源の岩石(原岩)の化学組成をほとんど残しておらず,原岩の判別は難しいものが多いです.このような作用を,交代変成作用といいます.ロジン岩は,Ca交代変成作用で形成された岩石です.

 

Fig.7. 浦幌町平和遺跡で出土した“日高産軟玉”製の石斧型垂飾を報じる記事(北海道新聞,平成12年8月27日刊).日高ヒスイを軟玉ヒスイと誤って記載していないだろうか?

Fig.7. 浦幌町平和遺跡で出土した“日高産軟玉ヒスイ”製の石斧型垂飾を報じる記事(北海道新聞,平成12年8月27日刊).遺物の産地の解明には,正しい岩石学的・地質学的アプローチが,有用な手段の1つである.

日高ヒスイと縄文時代の人とのかかわり

 

近年では,考古学の分野においても,石器に用いられる石材の岩種や原産地特定の方法として,岩石学的手法が広く用いられています [e.g. 9]

実は,北海道各地の縄文遺跡からよく出土するロジン岩製の剥片石器は,クロムスピネルを含むものが多く,明らかに蛇紋岩起源のロジン岩です.このようなクロムスピネルを含む蛇紋岩起源のロジン岩やそれに含有される日高ヒスイや軟玉のヒスイ[2]などの産出例は珍しく,クロムスピネルを含むロジン岩でできた剥片石器の岩石はもちろん,蛇紋岩起源のロジン岩中に産する緑色の岩石-日高ヒスイや軟玉ヒスイ-も,日高近辺で採取されて各地に運ばれ,利用されていた可能性も十分に考えられます(Fig.7).

当時の人たちも,同じ蛇紋岩起源のロジン岩中に産する“日高ヒスイ”と“日高産軟玉ヒスイ(日高産ヒスイ)”の違いを認識していたかどうかはわかりませんが,蛇紋岩起源のロジン岩や,それに産する日高ヒスイなどの日高近辺の特殊な岩石は,縄文時代から愛されてきたのかもしれませんね.

 

参考文献

 

[1] 東 豊土・加藤孝幸,2012,神居古潭帯・糠平岩体由来のロジン岩化蛇紋岩質テクトナイト.むかわ町立穂別博物館研究報告, 27, 7-16.
[2] 番場猛夫,1967,北海道日高地方における軟玉ヒスイ (Nephrite Jade) の発見.地質調査所月報,18,3,238-239.
[3] 番場猛夫,1972,北海道のいわゆる「日高ヒスイ」について.鉱山地質,22,21-20.
[4] 番場猛夫,1980,北海道日高千栄産クロム透輝石ヒスイ.宝石学会誌,7,9-13.
[5] Coleman, R. G., 1966, New Zealand serpentinites and associated metasomatic rocks. New Zealand Geol. Surv. Bull., 76, 1-102.
[6] Coleman, R. G., 1967, Low-tempreture reaction zones and Alpine ultramafic rocks of California Oregon, and Washington. U. S. Geol. Surv. Bull., 1247, 1-49.
[7] Katoh, T. and Niida, K., 1983, Rodingites from the Kamuikotan tectonic belt, Hokkaido. J. Fac. Sci. Hokkaido Univ., Ser. IV, 20, 151-169.
[8] Kobayashi, S. and Shoji, T., 1998, Metasomatic process in the formation of rogingite in Boso Peninsula, Chiba, Japan. Journal of Mineralogy, Petrology and Economic Geology, 83, 514-526.
[9] 岡村 聡・菅原いよ・加藤孝幸・加藤欣也・立田 理,2008,根室市初田牛および常呂川河口遺跡から出土する玉類の石質と起源.北海道教育大学紀要(自然科学編),59,19-29.

 

 

 〈日高山脈博物館  東 豊土〉

次回は、帯広百年記念館の伊藤さんの投稿です。お楽しみに!