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北の大地に移り住んだ開拓団体「赤心社」 【コラムリレー第32回】

兵庫県神戸市内で北海道開拓を目的に組織され、浦河を開拓地と定めて移住した開拓会社「赤心社」は明治13年に設立されました。社名は17条からなる同盟規則の「報国の赤心に奮起する」から付けられた赤心社について紹介します。

◇会社設立について

岡山県出身の加藤清徳が北海道開拓事業を切望し、神戸で事業を行っていた鈴木清に趣旨を説き、橋本一狼の賛同も得て設立趣意書の創案を作成しました。しかし、北海道の実情や移住手続きなどを知らないことから、開拓使の御用雑誌「北海道開拓雑誌」を発行している学農社社長の津田仙の教示のもと、設立趣意書、同盟規則、副規則を作成しました。

明治13年(1880)8月には開拓使より結社の許可を受けた後、同月26日、株式の応募者を集め集会を開き、同盟規則に基づき役員は発起人の中から選ぶとのことから、社長には鈴木清、副社長に加藤清徳、幹事に湯沢誠明、倉賀野棐が選任され、社長は本社にて社務を総括し、副社長は事業地の事務を担当すると定め、株主を募集しました。そして数十株を得た同年9月に開拓地選定委員として加藤副社長と赤峰正記が指名されました。翌年の1月には株主総会が開かれ規則の修正と14名の委員が選出されました。

 

赤心社事務所

赤心社事務所

鈴木 清

鈴木 清

加藤 清徳

加藤 清徳

 

 

 

 

 

 

 

 

◇入植地の選定と移住

開拓地選定委員の加藤らは、まず札幌の開拓使に赴き、道内各地の地味の好悪、風土、人情などの状況を聞き、渡島、胆振、石狩、日髙を巡視し、日高国浦河郡幌別川流域の西舎地区を入植地として定め、開拓使庁に出願し、明治23年迄に懇成した土地は無償で払い下げるとの恩恵のもと約100万坪が認められました。

明治14年(1881)4月、募集株数が600株に達したので、1回目の移民募集を行い、倉賀野幹事の引率により28戸52名が幌別川流域の西舎地区に入植し、翌年の5月には沢茂吉部長と和久山磐尾書記のもと81名が元浦川へ入植、3回目は明治17年(1884)に行われるほか、赤心社の趣旨に賛同し自費で移住する者もあり、明治44年までに269名(山下弦橘著『風雪と栄光の百二十年』)が移住しました。

そして、入植地が2か所となったことで西舎地区を第1部として加藤副社長、元浦川を第2部として沢部長が管理することとしました。

しかし、第1部の移住は困難の連続でした、函館まで来たところで、東風が常に強く吹き続けていたことから20日間の滞在を余儀なくされ費用にも困り、函館支庁に上願して、官有汽船弘明丸にて向かうことができましたが、農具・什器等は積載できず別の帆船に積載し、浦河に到着しましたが、開墾地の住居は未だ整っていなかったため、壮年者のみ現地に行き準備を整えてからと入地が遅れ、その上航海中にチフスに感染する者があり、浦河郡長の好意により札幌より医師が招かれ治療を受けるなどに加えて、農具などを積載した帆船が暴風のため千島まで流される等の障害により、初年度の開墾は進みませんでした。それに対し第2部は入植当初より順調に進むことができ開拓事業の主体となりました。

 

沢 茂吉

沢 茂吉

開拓者住宅(明治18年)

開拓者住宅(明治18年)

 

 

 

 

 

 

 

 

◇鈴木社長の現地視察

鈴木社長は入植地を視察のため、明治43年まで13回も訪れています。

明治14年(1881)の現地視察では、7反歩の墾地と加藤と倉賀野の外2名の移民しか居ない状況を確認すると、札幌に出向き耕牛5頭、器械数品を購入して戻り、散在していた移民を集め奨励し、開墾に着手しましたが季節も遅く18町歩の新懇に留まりました。滞在中に浦河郡内各地を視察した社長は、元浦川地域を次の入植地と定めました。この視察を「北行日記」として残しています。

◇主な事業

明治18年(1885)、満期後に開墾した土地を株主へ分配することから純利益を分配することに規約変更がなされたことで、明治19年(1886)には新懇事業の殆どを廃止し、牧畜、樹芸等を加えた混同農業に転換しています。道庁に申請して短角牛1頭及び牝牛数等を借用して、先に借用した野深ケパポロ地区の牧場に放牧しました。更には漆、桑及び果樹の苗木の払い下げも申請するなど自然生の桑樹の移植も進め、同年には開墾地の需用品取次ぎのため商店部を開設、同21年(1888)には養蚕業、同26年(1893)には醤油醸造準備として工場を建設し、翌年に醸造を始めました。

その後、社名を「赤心株式会社」とし、様々な事業を展開する中、戦後の農地解放において農業部門を全廃した現在も移住した浦河町荻伏の地で創立からの歴史を刻み続けています。

 

 〈浦河町立郷土博物館 伊藤昭和〉

次回は、日高山脈博物館の東さんの投稿です。お楽しみに!