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江戸時代の石碑【コラムリレー第33回】

えりも町歌別のコンブ干し

 えりも町は1600年代からコンブの産地として知られてきた。400年の歴史がある。今も町の主産業はコンブ漁である。

7月になれば夜明けとともにコンブ漁がはじまる。海中のコンブを磯船で採るのはお父さん、浜や港に戻りコンブを上げ、干場(コンブを干す砂利を敷いた場所)に運ぶのはお母さん、かぶた(仮根)を切り落し、配りやすいようにそろえるのは、おばあさんや小さな子供たち、干しやすいようにバランスよくコンブを配るのはおじいちゃん、太陽が当たるよう、一本一本に重ならないよう並べるのはベテランさんたち。家族総出、親戚もお手伝いさんもみんなで汗をかく。えりもの夏の風物詩である。しかし、その歴史に関心を持つ人は少ない。

えりも町内には集落ごとに9つの神社があり、8社が江戸時代の創設である。境内には地域の歴史を物語る石碑が残る。石灯篭、狛犬、手水鉢。石灯篭は長年の風雪に耐えることができず、残念ながら破損しているものもある。毎年秋には各神社で例大祭がおこなわれるが、目に留める人は多くはない。

その一部を紹介しよう。

住吉神社石灯篭(脚) 住吉神社手水鉢01

 えりも町字本町にある住吉神社裏には、石灯篭の竿(脚)があり、「奉納 ホロイツミ支配人 名越屋善吉 □役 □和田屋元吉 嘉永四年正月」「奉納 ホロイツミ 福嶌屋喜四郎」と、手水鉢には「奉納 嘉永三年戌九月吉日 願主 福嶋屋喜四郎」と刻まれている。(嘉永三年は1850年)

襟裳神社手水鉢

襟裳岬に近い襟裳神社に残る手水鉢には「奉献 願主 讃岐粟島 升屋虎蔵 嘉永三年戌」とある。

 

ここに紹介した石灯篭や手水鉢、産地調査はしていないが花崗岩で作られている。刻まれた「福嶌屋」は、江戸時代、幌泉場所(現:えりも町の範囲)のコンブ等産物の取引を請負っていた(場所請負制度)函館の商人「福嶌屋」のこと。

讃岐粟島は、香川県三豊市詫間町、瀬戸内海に浮かぶ粟島。江戸時代から海運が盛んで、蝦夷地との交易によって栄えた。文政十年(1827)には島の船が88隻になったことから、船主が一船一石仏を寄進し粟島に四国遍路八十八か所の「島遍路」が作られ、升屋はこのうち5体を寄進している。

石に刻まれた文字は、数百年の歴史をひも解いてくれる。蝦夷地の幌泉に、なぜ函館商人の名が刻まれているのか、瀬戸内四国の地名が残るのか?そこからは、蝦夷地と本州上方を結ぶ航路「北前船」とその商いが浮かんでくる。商家は自前の船や雇い船で「北前船」による商いをしていた。

石碑は地域の歴史を語るだけでなく、地域のつながりも示唆してくれる。紙や文字による記録を二次元の記録とすれば、石碑は三次元四次元の記録であり、探ればどんどん広がり、私たちを別世界にいざなってくれる。

* えりも町では、江戸時代建立の石碑等6件12体をえりも町文化財に指定している。

(えりも町郷土資料館長 学芸員 中岡利泰)