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内地の人と様似町の交流 【コラムリレー第9回】

「内地(ないち)の人」。北海道の人は、北海道以外の場所から北海道へ来た人をそう呼びます。私は生まれが本州で、北海道にきた当初はドキッとしていましたが、北海道の独自性があり、親しみを込めて呼んでいるのだと思います。

北海道にきて、一番興味をもったことは、内地の人と北海道民の交流が息づいていることでした。様似(さまに)町と内地の人の交流について(元道外の者であった視点がおそらく入りながら)書きます。

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カニ族と旧様似観光公社のおかみさん

昭和40年から7~8年間、大勢の重いリュックを背負った旅行者が北海道を訪れました。その姿からカニ族と呼ばれていました。様似町にも、大勢の旅行者が訪れました。国鉄日高本線の終着駅様似【※】に降りたった彼らの目に一番先飛び込んできたのは横一列にずらりと並ぶ、えりも岬行きの国鉄バスでした。様似駅は、えりも岬を目指す人々の中継地でした。カニ族の時代の数年後には、日高山脈襟裳国定公園のアポイ山麓公園【※】をめざす人も大勢いました。夏シーズンは、札幌から様似への列車は満席で、様似駅の一日の利用者は2000人以上でした。

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さまにの夏(昭和42年STV局様似開局記念番組)より えりも岬行のバスに乗り込む乗客

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様似のあゆみ(1964)より 昭和40年の様似駅 バスが国鉄バスです。

 

札幌から直行便の汽車が一日一本、深夜に様似に到着します。乗客の多くは学生で、様似に泊まっていきました。様似駅近くには、彼らのための安価な民宿旧様似観光公社エンルム荘がありました。元女将は、学生との思い出を話してくれます。

「学生さんたちは、いろんなところまわってきているから、色んなこと教えてくれるんだ。」「宿をこうしたらいいとか。」

「すっごく大変だったけど、学生さん礼儀正しくて楽しかった。勉強させてもらった。」

今も当時のお客さんが昔をしのんで元おかみさんを、様似を訪ねます。

時代は変わり観光客は様変わりましが、思い出とおもてなしの心は変わりなく息づいています。

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様似のあゆみ(2012)より 昭和12年終着駅様似では人力で汽車の方向転換が行われていました。

 

【※ 終着駅様似】なぜ、えりも岬ではなく西に約40km手前の様似駅が終着駅なのでしょうか。

様似から先の海岸線は、日高山脈支脈アポイ岳のすそ野が海に落ちる場所で、断崖絶壁が6kmにわたって続き、線路を敷くことが困難だったからです。

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「北海道の俯瞰図」 濃い緑色が山を表しています。

 

【※ アポイ岳】日高山脈の南西の支脈で、標高810.2mの様似町にある山。かんらん岩土壌が育む数々の高山植物が見られ、太平洋と日高山脈が望めます。

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アポイ岳の稜線から太平洋を望む     アポイクワガタ

 

北海道に残したいもの・伝えたいものは、内地の人と北海道民の交流です。直接は数、お金にならないかもしれません。長い目でモノと人々の交流を記録していくことも学芸員の仕事だと思っています。

今月4月13日(土)にリニューアルオープンしたアポイ岳ジオパークビジターセンターを、大地が息づき、モノと人の交流を伝える施設にしていきたいと思います。

<様似町アポイ岳ジオパークビジターセンター 加藤聡美>

 

次回は、三笠市立博物館の高橋史弥さんの投稿です。どうぞお楽しみに!