【コラムリレー08「博物館?資料のウラ側」第27回】
美幌博物館は、オホーツク地域の自然・歴史・芸術を集めた総合博物館です。博物館のオモテ側が展示室であれば、ウラ側は収蔵庫と言えるでしょう。収蔵庫には普段お目にかかれない様々な資料が眠っています。その一つに、ご家庭で撮影された様々な映像資料があります。VHSやベータマックスなどの磁気テープ、それ以前に普及していた8mmフィルム、昭和初期の9.5mmフィルムなど、たくさんの種類があります。古い映像資料は劣化が心配です。どんなに良い環境で保管していても、少しずつ劣化していきます。また、映像資料を再生する機械も古くなり、使えなくなってきています。このままでは、いずれ見られなくなってしまうでしょう。映像が見られなくなる!そうなる前に、美幌博物館では映像資料のデジタルデータ化を始めました。

デジタル化した映像資料は、いつ頃、何を撮影したものなのかを確認していきます。すると映像資料には、町の様々な出来事が含まれていることがわかってきました。例えば、8mmフィルムには、昭和60年3月に廃止となった旧国鉄相生線と人々の別れの様子が撮影されていました。今となっては、すでに40年前の出来事であり、町の歴史を物語る貴重な資料と言えるでしょう。さらに古いフィルムになると撮影記録が残っていなかったり、内容も曖昧になっていたりするため、いつ何を撮影したものなのか、よくわからないものがたくさんあります。映像を隅々まで観察し、撮影時期やフィルムに残されたメモ、撮影者の証言記録、町史や町の歴史書を読み進めることで、美幌町の様々な出来事を撮影していたことが明らかになってきました。

美幌町史年表には、以下のような一文があります。
「昭和14年1月、美幌駅で猛吹雪のため列車が衝突し、死傷者6名を出す」
たった1行の町の歴史ですが、これに関連するフィルムが残されていました。映像には蒸気機関車の先頭部分が客車に衝突して潰れている様子が映っています。撮影者は鉄道事故を聞きつけ、野次馬のようにカメラを持って現場に駆けつけたようです。列車の周囲を取り囲む人々の姿も撮影されていました。たった1行の町の歴史が動き出した瞬間です。

フィルムには飛行機も映っていました。市街地を低空で飛び回る様子が撮影されています。収納ケースには「グラマン」の文字。美幌町の市街地上空に現れた米軍機、その目的は何だったのでしょうか?調べていくと、美幌叢書第五号「美幌海軍航空隊」にこんな記述がありました。
「終戦直後の二〜三日目に、米軍の飛行機が飛来したという説があるが、8月20日頃にグラマン二〜三機が美幌上空に来て低空で偵察しており、搭乗員の顔も見えたという人もいる」この証言記録に一致する映像とわかりました。戦争中は軍事機密を守るため自由な撮影が許されていませんでした。飛行機を撮影するのも禁止されていたそうです。戦争が終わり、自由に撮影できるようになったことも、この資料のウラ側に隠されていることかもしれません。

近年、デジタル技術の発展により、映像を編集し公開するハードルが下がったように感じます。これまで博物館のウラ側に眠っていた映像資料は、展示室というオモテ側で活躍することも増えていくのではないでしょうか。止まっていた歴史が動き出す瞬間にご期待ください。
(美幌博物館 学芸員 八重柏誠)
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