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見えない部材に歴史あり

築100年を超える建物の屋根裏にもぐりこんで、真っ黒に焦げた部材を見たとき、思わず息をのみました。

その建物は、野外博物館北海道開拓の村にある「旧北海中学校」(1909年建築)です。私の業務である、建物の改修工事に関する調査の際に、衝撃を受けたのでした。

旧北海中学校の屋根裏。黒くなっている部材が焼け焦げた跡。

「旧北海中学校」が開拓の村へと移築される直前に、火事にあってしまったことは記録として知っていましたが、これほど生々しい状態で痕跡が残っているとは思いませんでした。

いつも見ている姿からはうかがい知ることのできない記憶が、歴史的建造物の「ウラ側」に残されているのだと改めて感じた体験でした。

この投稿に登場する建物の概要は、「北海道開拓の村ウェブサイト」でご覧いただけます。

いつも目にする建物の目に見えない部分

皆さんの身近には、古い建物はあるでしょうか。

例えば、文化財として大切に保存されている歴史的建造物を見ると、長い年月を経たとは思えないほどキレイな状態に保たれている様子を目にします。それは、傷んだ部材の交換や、増改築で変更された部分を建設当初の姿へ戻す工事が行われているためです。特に、外壁や屋根など、外部に露出した部分は傷みやすく、交換される頻度も高くなります。

一方で、柱や梁といった構造材は、問題がない限りそのまま使い続けられます。ただし、目に見える位置にある場合は、美観を保つために手入れされてしまうこともしばしばあります。

ところが、屋根裏や壁の内側など、目にすることのない「ウラ側」にある部材は、手が加えられずに昔のままの状態を残していることが多くあります。

こうした隠れた場所にこそ、建物の歴史をひもとく痕跡が残されているのです。

ウラ側の痕跡が歴史の証人になる

冒頭の「旧北海中学校」のほかに、もうひとつ開拓の村での事例を紹介しましょう。

開拓の村内で唯一の国指定重要文化財である「旧開拓使工業局庁舎」(1877年建築)のウラ側です。

この建物が、開拓の村への移築のために解体された際の記録で、ウラ側の部材に驚くべき痕跡が残されていることが分かっています。

旧開拓使工業局庁舎の解体工事であらわになった部材(北海道博物館所有)

上の写真は、壁を解体して出てきた柱や床を支える部材です。部材に対して斜めにスジが入っているのが分かります。
また、下の写真は、建設当初の屋根の板材です。画像の右の方に、うっすらと円弧状のスジが入っているのが分かります。

実は、これらのスジは、機械を用いた製材によってつけられた丸ノコの痕跡になります。

今から約150年前、北海道の開発を進めていた「開拓使」は、アメリカから製材用の機械を取り寄せていました。人力での製材が当たり前だった時代に、開拓使は機械による製材を推し進めたのです。

つまり、これらの痕跡が、開拓使の取り組みを物語る「歴史の証人」になっているのです。

なお、丸ノコのスジが残る屋根材は非常に貴重です。屋根は劣化が進むので、交換されてしまうことが多いからです。

ではなぜ残っていたのか。

この建物は建設後すぐに一部増築されたため、最初の屋根の上に新しい屋根がつくられました。つまり、増築によって最初の屋根が覆われ、ウラ側になったことによって屋根材が劣化せずに残り続けたのでした。

移築直前の旧開拓使工業局庁舎(北海道博物館所有)。正面真ん中に2つの窓が見える部分が増築部分。
上の写真の増築部の三角形の屋根のウラ側。元の屋根の上に屋根がかけられています。(北海道博物館所有)

建物のウラ側に想いをよせて

開拓の村の建物を事例に、歴史的建造物のウラ側の部材が語る歴史を少しだけ紹介しました。

皆さんの身近にある建物も、見えない部分にたくさんの歴史を刻んでいるかもしれません。

次に古い建物と出会ったときは、ぜひウラ側にある物語を想像してみてください。

〈北海道博物館 研究職員 鈴木 明世〉