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家の衣料をまかなうための知恵【コラムリレー第30回】

かつての嫁入り道具といえば、箪笥や鏡台、北海道では角巻もきかれますが、そのほかにも洗濯板・たらい・張り板・裁ち板、そして針箱が定番でした。これらの道具は、洗濯や衣類の繕いなど、自家で衣料をまかなうのに必要なものです。嫁入り道具ということは、それらは女性のものとして、そしてそれにかかわる労働も女性のものとしてとらえられてきたといえます。

地域によって異なりますが、戦前・戦中から戦後しばらくにかけ、女性たちが在学中、あるいは学校卒業後に和裁や洋裁を習うのは一般的でした。ある程度の年齢になると、親が月謝を払い、近所の裁縫所に彼女たちを通わせました。そこで布の裁ち方や縫い方から一着の衣服を作り方までを習い、一家の衣生活を支えるため、日々に必要な裁縫の技術を結婚前に身につけたのでした。

次の写真は、当館に先日寄贈された防寒手袋[i]です。

寄贈者の女性(昭和3年生・以下A氏と表記)によれば、この防寒手袋は昭和15年頃に、札幌市内に住んでいたA氏の数歳年上の親類の女性が縫ったものとのことでした。実際に使われたことはなかったため、ほぼ作った当時のまま残されていました。

寄贈にあたり、A氏は事前にこの手袋の型紙をおこしていました。その際に、洋裁で用いられるメートル法で裁ち縫いされていること、そして当時自分たちの年頃の女性は和裁だけでなく、洋裁も習った、と教えてくれました。このほか2点A氏から指摘がありました。1点目は、絣の部分が新しい物ならうっすら青みがかっているのに対し、手袋のものは黄ばんでいることから、着物などの使い古しを再利用していること。2点目は、手袋の内側に赤色のネルが利用されているのですが、これは「物資がない戦時中に出回った、よくないネル」ということです。本来のネルは経緯の糸が均一で目が細かく、起毛しているので暖かいのですが、この手袋に使われたネルは、緯糸に比べ経糸が細く、目が粗いものだったのです。このほか、当時どのように布を調達したのか、A氏から多く聞き取ることができたのですが、そちらは別の機会にまとめたいと思います。

 

さて、この防寒手袋ですが、木綿の絣などの布を数種類組み合わせており、右側の甲の一部は、すり切れた部分にあて布をしています。色あせ具合や絣の大きさが異なることから、別の布を使っていることは明らかですが、よくよく見ると絣の経糸と緯糸の間隔が似たような布があてられています。また、親指以外部分の覆輪(端を覆っている布)は無地なのに対し、親指部分の覆輪には絣のものを利用しています。これにより、特に後者はあたかも覆輪がないかのように見えるようになっており、製作者の細やかな心配りがうかがえます。このような配慮は、作り手の経験やそれによって発揮される知恵があってこそのものといえるでしょう。

この資料を受け入れるまでに2回聞き取り調査を行いました。その中でA氏や親類の女性が布地や裁縫に関する知識を多く備えていたこと、そして布の調達のため地域のさまざまなネットワークを利用していたことを知りました。いずれも個々人の記憶のなかにしまわれ、表に出にくいものですが、人々のかつてのくらしぶりを知るには貴重な情報です。調査を継続し、ものとともに、彼女たちの衣料に対するまなざしも残していければと思います。

 

[i] このような手袋のことを北海道では「テッカエシ」、「ボッコ手袋」と呼ぶ場合もありますが、今回の聞き取りにもとづき、ここでは「防寒手袋」と表記しました。

 

〈北海道博物館 学芸員 尾曲香織〉