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西南戦争で斃れたアイヌの青年【コラムリレー第26回】

今(2017年)から丁度140年前の明治10年9月1日、静内出身の一人のアイヌ青年が西南戦争で斃れました。遥か本州の南端鹿児島の地で果てた数奇な歩みを追ってみました。

 

青年は、森藤吉、あるいは静地藤吉、伊加介、伊賀助、イカステキ、イカシテケとも記され、慶応二年(1866)の人別帳には

シピチャリ川下村住居

平土人        イソリキン   當寅   四十三歳

(中略)

サヱワウク事  弟            サエワウク    〃     十七歳

イカシテケ

(後略)

とあり、サエワウクが後にイカステキさらに森藤吉と称したようです。(下線筆者)

『慶應二年 シツナイ御場所惣土人人別家数名前書上』(新ひだか町博物館所蔵)

 

松浦武四郎が、安政四年(1857)に蝦夷地を巡った記録「戊午日誌」には

「メナフト 家主ヱソンリキ三十四歳、(中略)弟サエハウク八歳(後略)」(下線筆者)とあり、住まいは、現在の新ひだか町静内目名になります。

 

次に北海道立文書館の資料から辿ってみましょう。

藤吉は、明治5年5月馬追人足として札幌へ行き、一度静内に戻った後11月上旬に無届出で出郡し、行方知れずとなります。その間札幌で元松前藩士守正孝と懇意になり、明治9年2月頃、正孝と共に札幌を旅立ちました。

麝香猫を持参して、東北各地で見世物興行をし、仙台で浅草の元香具の子分と出会い、正孝が浅草観音開帳の折り興行をしたいと彼の親分に開業を依頼します。

3月東京に着き、浅草奥山で猫と藤吉の力持ち見世物を行います。この興行は重い物を持ち上げ怪力を見せるものですが、程なく損耗して廃業してしまいました。故郷の家族のことが心配でしたが、旅費がなく帰れません。

浅草寺の北西一帯は、江戸時代より奥山と呼ばれ芝居や見世物など江戸随一の盛り場として賑わってきました。当年は4月1日から60日間開帳し、この興行について「仮名読新聞 第八十四號 明治九年四月廿一日版」に浅草景況第四回と題した中で「蝦夷渡りの麝香猫(是は北海道石狩人の力持と合併)」と報じられました。

『仮名読新聞』(第八十四號 明治九年四月廿一日)

 

『仮名読新聞』(拡大)

 

その後、藤吉は同伴した正孝が起業のために忙しく放りおかれ、言葉も通じない中面倒を見てくれる人もなく、大変困窮しました。

元盛岡藩士小林清作は、同じ宿で会ったアイヌのことをよく知る函館の女性から、彼の面倒を見て欲しいと懇願されます。清作は色々と世話を焼き、藤吉は蒸気船の荷揚げの仕事を始めました。しかし直に怪力(三人力も有之事故)を見込まれ警視庁に雇われます。時に西南戦争が勃発し、軍人のほか警視庁の警官も動員され、藤吉も7月鹿児島に出征します。

藤吉は、力持ち廃業後生活のため3人より借金をしていました。1人は旧松前藩士の新田千里で、彼は、明治元年松前藩勤皇派の正議局総裁となって旧幕府軍と戦い、後に東京に移った人物で、「松前家記」を著しています。鈴木久兵衛からは「商法本手金トシテ」(商売の元手)借りました。藤吉の宿主である宮崎荒吉からは、宿代と古着洋服、股引など衣類代を借りていました。

借金は警視庁の給料で返済の約束でしたが、戦死したため藤吉の身元保証人である清作が、藤吉の慰労金から弁済してほしいと訴えました。皮肉なことにこの訴えの諸記録が残り、経過を知ることができたのですが。

借金の一部は返済していましたが、残金と利息もあります。清作は、藤吉が故人となったため無利息にしてほしいと頼み三人も承諾します。

結局、借金は藤吉に支払われる予定の鹿児島往復の旅費と遺族への扶助料を合せた分から完済され、残りは家族の元へ渡されました。

 

『鹿児島日記 城山攻撃戦図』(鹿児島県立図書館所蔵)

 

藤吉の最期は「九月一日鹿児島県城山戦争之際賊中ヘ進入奮戦罷在候處其後行衛相知レ不申多分打死之体ニ相見ヘ候」とあります。

はたして本当に亡くなったでしょうか。行方知れず多分討死とあり、本人と確認はされていないようです。きっとどこかで生き延びたのではと思わずにいられません。

 

引用・参考文献

「開拓使公文録 警視庁往復」 簿書番号5836 北海道立文書館所蔵

「開拓使公文録 戸籍」 簿書番号6150 北海道立文書館所蔵

「東京往復 戸籍課」 簿書番号2475 北海道立文書館所蔵

「開拓使公文録 内務省各局往復」簿書番号5685 北海道立文書館所蔵

「開拓使公文録 三府往復」簿書番号5875 北海道立文書館所蔵

「開拓使公文録 本庁往復」簿書番号5696 北海道立文書館所蔵

「復刻仮名読新聞1」山本武利監修 明石書店 1992

「見世物探偵が行く」川添裕 晶文社 2003

「戊午日誌 下」松浦武四郎 北海道出版企画センター 1985

「北海道人名字彙」河野常吉 北海道出版企画センター 1979

「東京市史稿 遊園編第4」東京市役所編 東京市役所 1932

 

<新ひだか町博物館  学芸員 藪中 剛司>