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災害とまちづくりの記憶【コラムリレー第22回】

当館所蔵の半鐘

苫小牧市美術博物館には消防に関するモノが数多く所蔵されていますが、今回はそのなかのひとつである「半鐘」をご紹介します。

 

いまからおよそ100年前の大正10(1910)年5月1日、三条通り6丁目付近(現在のJR苫小牧駅より西側)から火災が発生し、5300人が被災、1007戸が焼失しました。炎は風速15メートルの北風にあおられ、わずか2時間半の間に当時の繁華街や学校・病院・役場といったまちの主要施設を焼き尽くしました。

5月の節句を前にして各家庭であげていた鯉のぼりに火がつき、それが空を飛んで柾屋根の家々に落ちて延焼したという言い伝えがあることから、この火災を通称「コイノボリ大火」と呼んでいます。

画像の半鐘は、コイノボリ大火の際に三条通りにあった望楼から焼け落ちたもので、よく見ると表面の左側が焼けて黒く変色しています。

 

この火災は苫小牧の地に多大な被害をもたらした災害として現在も苫小牧市内の小学校の社会の副読本に取り上げられるなど、市民にとって忘れられない出来事となりましたが、その一方で良いこともありました。

 

当時の苫小牧は地番が取得順に割り当てられており、隣の土地であっても番号が飛び飛びになっているなど無計画・無統制のまま市区が発展していました。その状況は以前から問題視されていましたが、なかなか改善できずにいたため、復興とあわせて苫小牧のまちづくりに改めて着手したのです。結果として大火後には市区改正・官公庁・学校や遊郭・神社の移転、上下水道・火防線が設置されるなど、都市整備がすすめられていきました。

つまりこの半鐘は、悲惨な出来事を後世に語り継ぐモノであると同時に、苫小牧のまちの発展の1ページを窺い知ることのできるモノでもあるのです。

 

余談ですが、当館にはコイノボリ大火の様子を記した資料に「小保方文書」があります。この資料群は苫小牧市名誉市民第一号である小保方卯市がまとめたもので、消防組組頭、村・町議会議員及び道議会議員時代の資料が収められています。上記の火災により行政文書をはじめとする資料の大半が焼失してしまったため、当時の苫小牧を知る上で貴重な資料といえるのですが、いまだ手つかずのまま秘蔵されています。その紹介はまたの機会としたいと思います。

 

〈苫小牧市美術博物館 学芸員 佐藤麻莉〉