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更科源蔵自筆の書き入れ図【コラムリレー第1回】

更科源蔵が書き入れた「佐留太」図

更科源蔵がアイヌ語地名を書き入れた「佐留太」図

 

沙流川歴史館には、更科源蔵(1904~1985年)が昭和30年代に平取周辺を調査した際、自筆でアイヌ語地名を書き入れた古地図があります。書き込みに使用された地図は、昭和6(1931)年に大日本帝国陸地測量部より発行された五万分一地形図「佐瑠太」です。この地図は、沙流川を中心に、鵡川、日高門別川、波恵川を表示していますが、その至るところにアイヌ語地名が書き込まれています。当然のことながら、地図それ自体にも当時の地形、河川の流路、道路形状、集落の位置など重要な情報が含まれており、平取町二風谷地区を拡大視してみただけでも、通称「マンロー坂」と呼ばれていた湾曲した坂道もオサツ沢に見ることができます。あるいは、明治期に二風谷小学校が建設されて以降、学校より下流側の集落(二風谷コタン)と上流側の集落(ピパウシコタン)が次第に学校のそばに集中してきて「二風谷」という地区が形成されてきていることも、この地図から垣間見ることができます。そのような図に加えて、さらにアイヌ研究者の更科源蔵が自筆で沢や山・コタンなどのアイヌ語地名を詳細に書き入れています。また、地図枠外の右上には、地元の聞き取り協力者であった萱野茂氏(1926~2006)等の氏名が青インクで記載されていることから、地図上に赤・青インクを分けてカタカナ書き、あるいはローマ字書きをしているのも聞き取りによる追記であることを示唆しているのでしょう。

 

この古地図の入手経路は、縁あって古地図研究者の高木崇世芝氏より寄贈されたものですが、氏曰く「札幌の弘南堂書店から入手したものです。弘南堂書店は、更科源蔵旧蔵書の一部を購入した店であり、店主から「自筆です」と言われました。」ということで、確かに地図右下にはそれを証する「弘南堂」の朱印を確認することができます。

 

更科源蔵と言えば、アイヌ研究者であるばかりでなく、詩人としても有名です。昭和42(1967)年、歴史ある二風谷小学校にはじめて校歌が作られた時にも更科源蔵が作詞をし、翌年の開校75周年記念式典の際には校歌作詞者として表彰されています。

 

寄贈者の願いである「地図縁の地である平取町にあるのが、最も役に立つだろうと思いましたので、貴館へ寄贈します。お役に立つことがあれば幸いです。」という思いが、まさにこのコラムでの紹介となりました。

 

〈沙流川歴史館 森岡健治〉