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故郷を思い、舞った、久遠神楽【コラムリレー第23回】

 明治時代の北海道には、本州各地から新天地を求めて多くの移住者が移り住んできました。北海道の原野の開拓は非常に大きな困難を伴いました。そんな移住者たちが伝えた郷土芸能が、北海道各地に現在も数多く伝承されています。せたな町で現在伝承活動が行われている郷土芸能は6つあり、そのうちの1つである「久遠(くどう)神楽」についてお話します。

 久遠神楽は明治30(1897)年頃、青森県三本木町(現在の十和田市)から、ニシン漁をするため大成(たいせい) 区に移住してきた、久保金治さんと弟の政次郎さんの2人が遠くふるさとの山野を偲び、三本木町に伝わっていた踊りを都地区の青年団に教え、伝えたのが久遠神楽の始まりといわれています。

            平成29年(2018)に敬老会で神楽を披露している様子

 以来、大成区都地区の青年団の踊りとして定着し、古くは大正天皇の即位式から始まり、戦争中や様々な事情によってしばらくの休止はありましたが、昭和41(1966)年頃から復活し、昭和45(1970)年頃まで地区の祭典や行事に欠かせない芸能として伝えられてきました。

       平成20年(2008)の太田(おおた)神社例大祭で神楽を披露している様子

 踊りの由来については、昭和54(1979)年に当時の保存会の会員が十和田市を訪問し、調査活動を行ったが、当時を知る人がいなく久遠神楽の原型もありませんでした。

 しかし、青森県が保存している様々な郷土芸能のなかで久遠神楽の拍子に似ていて、道具も同じ踊りの存在が確認されたのが、南部駒踊りのつけ舞である「剣舞」(通称七つ舞ともよばれている)でした。

 この踊りは、久遠神楽と同じように「笛、太鼓、長刀、杵、刀、手平金、棒」の七つ道具で、久遠神楽に棒を加えると剣舞になるので、この剣舞が久遠神楽のルーツと考えられるところでした。

                保存会指導のもと、練習する中学生

 ただ、踊りそのものはやや似ていましたが同じものではなく、教えた久保金治さん兄弟が青森の芸能を混同させたとも考えられますが、1つのオリジナルとして、せたな町大成区の郷土芸能として完成されたものとして今日に伝えられています。

 現在、伝承活動は久遠神楽保存会が指導者となり、地元の大成中学校の生徒が伝承活動を行い、日々の練習の成果を町内の行事で披露しています。しかし、少子高齢化の影響か伝承活動にも陰りが見えてきました。明治から150年がたったからこそ、開拓者が伝えた郷土芸能を如何にして後世に伝えていくかという課題とより真剣に向き合わなければならないと日々感じます。

せたな町教育委員会 工藤 大