「困ったよ〜、シガさん、助けて〜」
「どうしたんだい、ケンジくん。あ、夏休みの宿題だろう?」
「海岸のすぐそばに、小さい沼があるでしょ?」
「あの直径30mくらいの、トンボやカエルがいる沼のことだね」
「ハナコちゃんたちと、自由研究でその沼の自然を分担して調べることになったんだ」
「ふーん。ハナコちゃんやマミちゃんが植物担当かな。で、ケンジくんは何を調べるの? カエルは苦手でしょ?」
「沼の真ん中で潜って、底の水を汲んで調べろって。カズノリくんが、やらないとイジメるぞって…」
「あの沼って深さ1mくらいじゃない? ちょっと水に入れば、底の水も取れるでしょ?」
「やだよ〜、僕は泳げないんだ〜。それに、ヌルヌルした生き物とかいっぱいいるんだよ!」
「それくらい我慢しなよ」
「ねえ、何かスゴいひみつ道具、出してよ〜」
「しょうがないなあ…、はいこれ。“底層水チュルチュル”〜!」
ケンジくんが調べることになったのは、石狩市にある親船名無沼(おやふねななしぬま)。もともとは50年くらい前に砂利採取でできた窪地に、水がたまっただけの小さな沼です。
でも、希少な水草や水生昆虫が見つかったり、近年では本来は北海道にはいないはずのヒキガエルが侵入・繁殖したり、と、地域の自然環境の移り変わりを教えてくれます。そのため、水温・水位の観測や動植物の観察を、15年以上前から調べ続けています。
この沼は海岸から150mくらいしか離れていません。標高も海面に近いため、砂地を通して海水が入り込んでいるかもしれません。淡水に海水が侵入すると、棲む生物が変わったり、海水は重いので底に溜まって水の動きが滞り、底生生物が窒息してしまうこともあります。そのため、底層水(沼底の水)の水温や成分を調べることは、湖沼調査の基本なのです。
ケンジくんが沼に入りたくなかったのは泳げないからみたいですが、実際、人が水中を動くと、沼底に静かに溜まっている底層水がかき回されて、正確な観測・採水ができないのです。
なんとかして水をかき回さずに、底層水を採る方法はないものか…?
考えた末、自作したのが、この「底層水チュルチュル」。ベースは灯油をストーブに入れる時に使う、あの手動ポンプ。赤い部分をシュポシュポと繰り返し握ると、逆流防止弁とサイフォンの原理によって、どんどん液体を吸い上げる道具です。イグノーベル賞も受賞した発明家、ドクター中松が生み出したことで知られ、「灯油チュルチュル」という名前だとか。
その吸上げパイプをビニールチューブで延長し、園芸用の長さ2mのピンに固定しました。吸上げ口はピンの下端まで伸ばしたので、水深2mでも採水可能。これならケンジくんも安心です。さらに温度計も付けたため、底層水の水温も直ちに観測できるというスグレモノ。
温度計以外の材料はホームセンターと百円ショップで買ったので材料費は500円くらい、工作時間も30分ほどでした。
底層水チュルチュルは、夏はゴムボートを浮かべて、冬は凍った水面にワカサギ釣り用ドリルで穴を空けて、垂直に水中に入れて使います。名無沼では想定どおりの性能を発揮。沼には海水は混じっていないことがわかり、底層水温の季節変化も観測できました。
調査や標本採集には、特殊な道具が必要になることがよくあります。でも小さな博物館ではそうそう買えないし、オーダーメイドなんて問題外。「困ったよ〜」と泣きついても誰かが出してくれるわけはなく、よくこんなふうに自作します。
これまでいろいろな道具を手作りしてきましたが、底層水チュルチュルは、そのネーミングと優れたコストパフォーマンスで、もっとも気に入ったひみつ道具です。
※登場する人物は実在の人物とは関係ありません。
※著者は泳げます。
<いしかり砂丘の風資料館 学芸員 志賀健司>