北海道最初の鉄道は小樽を起点として1880(明治13)年に開業、その歴史は138年。道内の鉄道史は短いながらもその発展は地域に住む人々へ大きな影響を与えました。
最初に北海道に鉄道を敷設するきっかけとなったのは、三笠の幌内炭山にある良質な石炭層の発見です。この石炭を小樽港まで輸送するための手段として開拓使が官営幌内鉄道を敷設します。まずは小樽-札幌間まで開通、この時アメリカから1号機関車「義経号」と2号機関車「弁慶号」を輸入しました。2年後の1882(明治15)年に目的の幌内まで全通し石炭輸送が始まります。その後も機関車が輸入され「比羅夫号」「光圀号」「信広号」「しづか号」と名づけられました。
この名前の由来は北海道にゆかりのある人物から名づけられています。道内に数多くある義経伝説、その「義経」という文字を車体に大きく書き走行する姿を見た当時の人々はどう感じていたのでしょう。
鉄道開通後は米などの物資が安定して供給できるようになり物価の変動も減り札幌付近の生活が安定、移住者が増加するという変化が起こりました。
幌内鉄道は1889(明治22)年に北海道炭礦(たんこう)鉄道会社に譲渡され石炭輸送と石炭の販売に重点を置き道央の産炭地を中心に規模の拡大を進めます。一方道東や道北方面は北海道庁による北海道官設鉄道の敷設が進められ、沿線には開墾地や住宅が増加し開拓が進展しました。
1904(明治37)年にはもう一つの私設鉄道、北海道鉄道会社(函樽鉄道)により函館-小樽間全通、北海道から本州までの交通路を鉄道で結びます。政府は1906(明治39)年に鉄道国有法を公布し私鉄会社を買収、組織を一元化します。そして新線の建設を進め新たな鉄道網を形成していきます。
北海道に鉄路が生まれてから36年後の1916(大正5)年には1,000マイル(1,600㎞)に達し、その10年後には1,450.7マイル(2,332.6㎞)まで延伸します。当時の貨物輸送は石炭と木材が大半を占めましたが、豆類や雑穀、澱粉なども急増し北海道は食料と資源供給地としての役割が大きくなるのです。また「地方鉄道法」「地方鉄道補助法」も制定され私鉄が増加します。これらの鉄道は木材を輸送する森林鉄道をはじめ林業や鉱業など地域の産業と深く結びついていました。特に石炭輸送を行う専用鉄道は多く存在していました。
国営の鉄道組織は経営を独立採算制にするため1949(昭和24)年に公共企業体「日本国有鉄道」になります。それから昭和40年代までは景気の上昇にともない輸送も順調に伸びていました。しかし燃料の主役が石炭から石油に替わり炭鉱の閉山など石炭産業の斜陽化や地方の過疎化が進行します。
合わせるように鉄道経営の合理化・近代化が推進されます。1980(昭和55)年には「国鉄再建法(日本国有鉄道経営再建促進特別措置法)」により約600㎞以上が廃止、バス転換されました。
日本国有鉄道は1987(昭和62)年に分割民営化され「北海道旅客鉄道株式会社(JR北海道)」が発足します。青函トンネルの完成そして北海道新幹線の開業へと続きます。
蒸気機関車の全盛時代は海水浴、スキー、修学旅行などの専用列車があり多くの人々の足となっていました。しかし現在では道路の整備、自動車やバスの普及で鉄道が地域の足としての役割は少なくなりその距離数も減少しています。
これから12年後の北海道鉄道開業150年の時には北海道新幹線が札幌まで延伸開業して鉄道発祥の街小樽にも新幹線が通ることになります。その時には鉄道と地域の関わりにも新たな発展が起こっていることを願いたいものです。
(小樽市総合博物館 学芸員 佐藤卓司)