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奥尻の日々 【コラムリレー第6回】

日本海に浮かぶ離島、奥尻島。全国的には津波災害の島として知られる。島民にとって、これは本意ではないが、津波被害からの再建という観点で見れば、先進事例であり、離島での災害としても希有な事例である。2年経った今も模索を続ける、東日本大震災の被災地へエールを送り続けたいと思っている。

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奥尻島、サツマイモみたいな形

 

さて、奥尻の歴史は自然とともにあった。このことは太古の昔も、近代化した現在もまったく変わりようのない事実だ。中でも海と山の恵みは大変ありがたいものだ。人々は、熱い日差しにさばいた魚を干し、イカをスルメに加工し、干しアワビを造った。また、ウニを獲り、海草を摘んだ。また、山に向かえば、コクワをもぎ、ヤマブドウを漬けたことだろう。湿潤な島にはキトビロ(アイヌネギ)やキノコも良く生える。

獣の類で言えば、シカは開拓史が導入したが、駆除され絶滅。クマはもともといなかったのか、それとも…。今ではタヌキが百獣の王である。

 

ブナ 調理師200年

樹齢200年のブナ

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対岸の久遠、大成方面を望む(奥尻町指定文化財宮津弁天)

この姿は生活の水準は違えども、古代の昔も、今日もまったく同じ作業、労働である。近現代以降、海では栽培漁業へ、山では新田開墾へ知恵を絞っているが、自然と共に今を生きるという島人の根本姿勢は変わらない。

そんな奥尻の四季を少々紹介したい。

 

春、島は別れと出会いの季節。教職員や自衛隊員が紙テープで見送られる。港では盛大な手作りのセレモニーが毎日つづく。蛍の光が流れれば、もう出航の時。送るも出るもその姿は涙で霞む。

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離島者の見送り風景

 

思い出に耽る間もなく数日後には後任者が来島する。皆心配そうな顔つきで船を降りてくる。島暮らしへの不安感だろう。けれどそれを払拭するのが「熱烈歓迎」の横断幕だ。島民総出で送迎する、これが島のやり方だ。

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来島者の歓迎

 

雪が溶ければ、野山には山菜が顔を出す。なかでもキトビロ(アイヌネギ)は格別だ。臭みが少なく、ムシャムシャ食べられる。冷凍して保存が利くから、ジンギスカンの時期に出して食べれば味は最高。

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サクラマスのちゃんちゃん焼きにキトビロ

 

GWは島の観光スタート。同時に道南では釣りのシーズンが到来。釣り客も大挙してやってくる。こうして山も海も自然の恵みで溢れ出す。ブナの新緑が広がり、島は一気に緑の島へと姿を変える。離島最北の田植えが行われるのもこの頃だ。

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観光客の出迎え(5月1日の島びらき)

 

夏、北海道の短い夏。島は毎日が祭りだ。8月は各集落の神社祭りが連夜つづき、他にも6~8月は毎月大きな観光向けの祭りがある。賽の河原祭り、室津祭り、なべつる祭りで、「奥尻三大祭り」と呼ぶ。この祭りのエネルギーは一体どこからでてくるのか?夏は島全体が一番活気づく季節だ。

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奥尻地区の祭り山車

 

海ではウニとアワビ漁が始まる。どちらも天然物は期間限定で、資源保護の上での漁業活動である。かつては宝の島と呼ばれ、あまり頓着しないで捕獲したが、やはりそれでは資源の枯渇を避けられない。奥尻ブランド確立のためにも、品質の良い物を全国の食卓へ届けたい。これが漁家、農家ともに共通する思いだ。

 

秋、実りの秋。春に植えた苗が、黄金色の穂となって風にそよぐ。まるで黄金の波が打ちよせるようだ。漁業の島がなぜ稲作を?明治中期、しばらく不漁が続いた時期があり、島民は農業開拓に目を向けた。幾多の苦労を重ね、今日の成功を見た。まもなく「奥尻の米」として発売される見込みだ。

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島の田んぼ

 

冬、島は北西風が恒風となり、海は時化る。天気図を見て、「こりゃだめだ」となれば数日間はフェリーが出ない。ただ再開を待つのみ。不便だが、慣れてしまえば単純なことだ。島人になるには、先ずこれに慣れるしかない。

悪いことばかりじゃない。冬の味覚は色々ある。海苔、ホヤ、ゴッコ、エゾメバル、サクラマスなどなどの海の恵みが豊富だ。ホッケやイカが不漁でも、美味い物はたくさんある。近年は、ちょっと雪が多くて厄介だけども。それにしても、オオワシの飛翔は雄大だ。

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サクラマス

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オオワシの飛翔

 

少しは奥尻島のことがお解りいただけただろうか。紹介したいずれも、離島ならではの独自性、さらに言えば孤高性があるように思える。独自進化した、いわばガラパゴス化したとも言えようか。私は1年間の様々な島の風物詩を記録しながら、この島の歩みを噛みしめている。島の名産のスルメじゃないが、噛めば噛むほどに味が出る。これだから郷土の歴史を味わうのは止められない。立派な仕事として、またライフワークとして、郷土文化と向き合える学芸員は幸せ者であると思う。

移住3年目に入った私にとって、島は第二の故郷になりつつある。いや、そうせねばならないのだろうなと感ずる今日この頃である。

奥尻町教育委員会 稲垣森太

 

次回は沙流川歴史館の森岡健治さんの投稿です。どうぞお楽しみに!