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『流氷画家』村瀬真治-紋別の海を眺めて-【コラムリレー第48回】

幻氷(1969)

はじめに

紋別市内では空港や文化会館、学校、病院など様々な所で幻想的な『流氷絵画』を目にすることができます。それは流氷をモチーフとした絵画とスケッチを含め、約2,000点以上もの作品を描き残した村瀬真治の絵画です。横浜市で生まれた村瀬真治は、昭和24年の2月に紋別高等学校の美術教師として赴任し、その後流氷の魅力を生涯かけて描き続け、東京や札幌など個展を開催しながら流氷の美しさと温かさを伝えてくれました。この度、『流氷画家』として紋別市民に親しまれた村瀬真治のご紹介をしたいと思います。

 

流氷被害と恩恵

冬の観光資源としてオホーツク海の流氷観光と呼ばれるようになったのは最近の事であり、それまではオホーツク海に面する住民にとって流氷とは「白い悪魔」と呼ばれる厄介者でした。なぜなら押し寄せた流氷が重なり合い海底を擦ると昆布やウニなど海で育ったものを押し潰すことがあるからです。また、氷に閉ざされた海で漁船が閉じ込められ、押し流される流氷の圧力によって船体を壊されることがあります。そのため漁船を岸に上げ、流氷が去った海明けの時に降ろさなければなりません。このように流氷は漁師達にとって深刻な漁業被害をもたらしました。しかし、現在は科学的に流氷が解明され、流氷の下面や周囲には植物プランクトンが大繁殖し、豊富な栄養によって魚や貝を育てていることが分かり、漁業へも恩恵を与えています。

 

流氷との出会い

幻想的で恵の流氷ですが、一般的に流氷が厳冬の冷たいイメージだった時代に紋別市へ移り住んだ村瀬真治は、初めて海に白く浮かぶ流氷を見て感銘を受け、魅了されたのです。なぜなら長年モチーフとして望んでいた純粋な物への憧れと原始への復帰が流氷を追及することで叶えられると感じたからでず。しかし、偉大な自然を描くことは容易なことではなく、流氷と一緒に人物、動物、船、灯台といった様々な構図や画風で描きました。そして、試行錯誤の末、10年もの歳月をかけて写実ではなく、原始的で純粋な流氷絵画を発表することが出来たのです。

 

 

生涯をかけた流氷絵画

1966年の作品である『彩りの朝』は厳冬のオホーツク海に、春の日差しが輝き、空も海も流氷自身も温かな彩りを見せています。その他、多くの作品の色合いは冷たい白と青の世界だけでなく、赤や黄色を入れた朝焼けの流氷絵画を見る事により、私たちは初めて温かな流氷の光景を見る事ができたのです。その明るい幻想的な流氷絵画は地元のお菓子屋さんの包装紙に印刷され、さらに紋別市民会館大ホールのどん帳の下絵を村瀬真治自身が制作しました。そのことにより村瀬真治の名前を知らない子ども達も何気なく流氷絵画を眺め「また来年もいらっしゃい」と思えるほど流氷と身近に向き合うようになりました。

 その後、画家として人生を送った村瀬真治は1975年に脳いっ血で倒れ、利き腕に麻痺がのこりました。不自由になっても創作意欲は衰えることがなく、リハビリを続け、ペインティングナイフと左手の指先を絵筆代わりに作品を制作し続けました。その結果、光と空気を感じる幻想的な流氷の表現に戻り、穏やかな心象風景画として作品を残しています。

彩りの朝(1966)

彩りの朝(1966)

流氷~春(1976)

春氷点々(1978)

紋別市の誇りとして

昭和62年9月12日に紋別の病院にて80歳で永眠しました。それから21年後の平成20年5月1日に紋別市の中心部に村瀬真治を始めとする紋別市ゆかりの作家の作品を展示する『まちなか芸術館』が開館しました。村瀬真治の流氷絵画を一堂に集め、紋別市で過ごした半生の作品を鑑賞することができます。私たちが見つけられなかった流氷の豊かな表情を描いた作品をこの場で守り、受け継いでいきたいと思います。

 

村瀬真治

略歴年表

村瀬真治[むらせしんじ](1906-1987)

1906年(明治39年)    横浜に生まれる。

1927年(昭和2年)  22歳 第8回帝国美術院展覧会初入選(「少女午睡」)

1930年(昭和5年)  25歳 夏、興部町で高橋北修、朝倉力男とともに一カ月ほど制作。

1949年(昭和24年) 43歳 2月、紋別高等学校美術教師として紋別に赴任。

1949年(昭和39年) 58歳 本格的に流氷をモチーフとして製作。道展、一線美術展に発表。

1975年(昭和50年) 69歳 脳いっ血で倒れ、病状が利き腕に残る。

1979年(昭和54年) 73歳 紋別市開基百年市制25年式典において教育功労者として表彰。

1987年(昭和62年) 80歳 9月12日 永眠。

 

(紋別市立博物館 学芸員 春日里奈)