Breaking News
Home » 秘蔵品のモノ語り » 被災者のスクラップ帳【コラムリレー第12回】

被災者のスクラップ帳【コラムリレー第12回】

スクラップ12回

昨年度、奥尻町は北海道南西沖地震被害からちょうど20年目を迎え、区切りとなる慰霊祭が行われ、内外の各種メディアにより大きく報道されました。様々な切り口によって、震災後20年たった島の姿が取り上げられ、過疎化の離島で模索する人々が新聞記事となって登場しました。私はそれらを後世への資料として、せっせと切り抜いて整理する毎日でした。これは、震災後20年分をまとめる膨大な作業の一部のため、まだまだゴールは見えません。

今回紹介するのは、最大の被災地となった青苗地区に住んだ、とある女性が残した新聞のスクラップ帳です。島の南端に位置する青苗地区は、海岸沿いの集落が津波と火災により壊滅したものの、一部の40戸程度が火災から免れました。女性はここに居住しており、奇跡的にも自宅、家財とも流されずに済んだのでした。

スクラップ帳は全部で12冊あり、主な年代は1993年の震災直後から「完全復興宣言」の出された1998年頃までの範囲です。ページをめくれば、震災~復興までの激動の5年間を追うことが出来ます。震災後の5年間の報道はほぼ網羅されていると言って良いでしょう(北海道新聞が中心)。

また、うち1冊は、1983年の日本海中部地震に係わるもので、まだまだ地震や津波に対する認識が十分に浸透していなかった頃の資料として、非常に参考になります。83年の地震津波の体験が、93年の個々の災害対応に影響を与えたと言われるだけに、検証資料ともなり得ます。

新聞の切り抜きは行政機関でも行いますが、それはあくまでも関係事項を機械的に抜いたものであり、ストーリーは介在しません。しかし、この資料群はあくまでも個人が、自らの興味関心を交えながら、自身の歩みと地域の歩みを記録している点で絶好の地域資料と言えるのです。

女性は数年前に島を離れる際、学芸員の私にこのスクラップ帳と青苗の古写真を託しました。「当時、どうしてここまで一生懸命に集めたのか不思議なくらい。いくらかでも参考になるのなら、次世代に残して欲しい」と。

 奥尻町教育委員会 学芸員 稲垣森太