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樺太と北海道を結ぶ「声の連絡線」【コラムリレー第8回】

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1934(昭和9)年12月11日、樺太と北海道をつなぐ電話の開通式が、札幌、東京、樺太の豊原(とよはら)の3地点で同時開催されました。日露戦争後に樺太を領有して、約30年がたっていました。

 

通話を可能にしたのが、写真の海底電話ケーブルです。宗谷海峡をはさんで、北海道宗谷管内の猿払(さるふつ)と樺太の女麗(めれい)との間に敷設されました。その距離は約88カイリ(約163km)。海底の水圧や電気抵抗といった課題を克復するために、当時の最新技術である「パラガッタ」という新素材が採用されました。「パラガッタ」は1931年に発明された、天然ゴムを加工した絶縁体です。アメリカでの実用化に続いて2例目、国内で初めて「パラガッタ」を用いた海底電話ケーブルが開発されました。この海底ケーブルが国産品であったことも、当時の新聞で話題になりました。

 

記念すべき電話の開通を、当時の新聞はどのように伝えたのでしょう?『樺太日日新聞』1934(昭和9)年12月12日付の夕刊記事は、「内地樺太間電話開通記念号」と題して、電話開通式の様子を詳しく伝えています。樺太の中心地、豊原から札幌を経由して東京までの約1,700kmが電話でつながる、その歴史的瞬間の興奮を読み取ることができます。「百四十余万円と満一ヶ年半に亘る工事は完成し今日(十一日)晴の開通式が東京、札幌、豊原の三ヶ所で同時開催された銅線を伝はって明瞭に聞ゆる東京の声、それは島民の等しく待ち憧れてゐた都の声であると同時に千七百キロは一瞬に短縮される」。今読むとちょっと大げさに感じるかもしれませんが、それだけに、樺太住民が待ち望んでいた電話開通の喜びや期待の大きさが伝わってきます。開通式後の自由通話では、樺太からは「犬ぞり」「トナカイそり」による荷物運搬の紹介をして、「樺太らしい」「樺太をイメージさせる」話題を提供しました(『小樽新聞』同年12月12日)。ここからも、電話を介した活発な情報のやりとりが想像できます。

 

なお、猿払村浜猿払地区には、海底電話ケーブルの陸揚地跡が公園として整備されています。そして、紹介した資料と同じケーブルが保存され、記念碑が建立されています。

写真;海底ケーブル(北海道開拓記念館所蔵 収蔵番号158563-1)

 

<北海道開拓記念館 学芸員 会田理人>