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林のプール【コラムリレー第12回】

 

このプール、長さは50m以上。幅およそ20m、水深も1.4mあり、競泳用として基準を満たしています。ただ水質はちょっと問題あり。腐食質を含んだ茶色い水の中には、ミジンコがたくさん泳いでいるし、水温は低く、4℃くらいしかありません。

石狩湾の最も奥まったところにある石狩浜。ここには、カシワを主体とした帯状の海岸林が広がっています。石狩川河口から小樽市銭函(ぜにばこ)まで、長さ約15kmで幅500m前後、面積650ha。カシワの天然林としては日本最大級とされています。江戸時代から伐採が禁止され、現在でも強風と飛砂を防ぐ重要な役目を果たしています。その海岸林の中に、春の1〜2ヶ月の間、細長いプールが無数に、平行に並んで出現します。

石狩海岸林、冬。

石狩海岸林、冬。

春になると融雪プールが無数に形成される。

春になると融雪プールが無数に形成される。

例年、夏までに干上がる。

例年、夏までに干上がる。

例年、4月に入ると一気に雪解けが進み、林内に「融雪(ゆうせつ)プール」と呼ばれる水たまりができるのです。平均的には水が干上がるまでの1〜2ヶ月の間、融雪プールを見ることができます。しかし年によってはまったく水が溜まらない春もあるし、前の冬に雪が多かった年にはプールの水量も多く、夏や秋になっても水が残っていることもあります。2012年と2013年の春は積雪量が多かったせいで水量も多く、まさに無数のプールが出現しました。大規模なものでは水深が1.3〜1.4mにも達し、何百mもの長さになりました。本当にクロールで泳げます。途中で力尽きるくらいです。

調査中の筆者。水深は胴長の限界を越える。

調査中の筆者。水深は胴長の限界を越える。

毎年干上がってしまう融雪プールなので、魚はいません。しかし、水中をよく見ていると、体長およそ2cm、エビのような形をした生物が11対の脚を上に向けて、背泳ぎのように泳いでいるのを見ることがあります。キタホウネンエビです。

キタホウネンエビ、オス(右)とメス(左)。

キタホウネンエビ、オス(右)とメス(左)。

キタホウネンエビの泳ぎ(動画)

キタホウネンエビは、世界でもここ石狩の海岸林と、青森県下北地方の融雪プールでしか生息が確認されていません。青森県では「最重要希少野生生物」に指定されています。甲殻類の仲間で「エビ」という名も付いてますが、硬い殻も持っていません。エビよりはミジンコに近い生物です。本州には「キタ」の付かないホウネンエビという仲間が分布していますが、こちらは水田に発生します。これが大量発生する年には豊年(ホウネン)になる、と言われています。

海岸林の春、融雪プールができると間もなく、キタホウネンエビは発生します。プールに水がある数週間の間に産卵し、干上がると同時に、あるいはその前に、成体は短い一生を終えます。産み落とされた直径0.4mmほどの卵は、プールが干上がってしまっても何年も乾燥や凍結に耐えられます。冬になって雪が積もり、春にまた融雪プールができたとき、孵化するのです。しかし、たくさんある融雪プールでも、キタホウネンエビが発生するプールと、まったく見られないプールとに分かれています。プールは細長い形をしていて、それぞれが平行に並んでいるためにプール同士の水がつながることはほとんどなく、キタホウネンエビも移住する機会がないためです。では、石狩海岸林の融雪プールは、なぜこんな細長い形になるんでしょう?

海岸林内を歩き回ってみると、外からはわからないのですが、予想外に起伏があることに気づきます。ちょっと進むと1〜2mほど上がって、また下がって…。こんな上り下りが、20〜30mごとに繰り返されるのです。どうやらトタン屋根のような波状の地形になっているようです。実はこれは、花畔砂堤列(ばんなぐろさていれつ)と呼ばれる地形です。春の雪解け水は、この波状の凹凸の低い部分にたまるため、細長い融雪プールが平行に並ぶのです。

この波状地形、現在は海岸林内でしか見ることはできませんが、かつては海岸から内陸5kmまで、石狩平野北部の広範囲に広がっていました。現在の海岸林の約10倍の規模です。しかし農地や宅地の開発のために高い部分は削られ、低い部分は埋められて、すっかり均されてしまったのです。幸い海岸林だけは防風保安林として保護されていたために、その中の砂堤列地形も(意図せず)残ったのです。林外も、今でも航空写真を見ると、地質の違いが地面の色の違いとして現れるため、縞模様として無数の砂堤列の痕跡を見ることができます。開拓の手が入るまでは、春の石狩平野北部は延々と林の中に融雪プールが広がり、キタホウネンエビもいたる所で泳ぎ回っていたに違いありません。今の海岸林で見られるのは、この100年ほどの間に生息地を圧縮され、細々と生き残っている姿なのでしょう。

航空写真で見られる砂堤列の痕跡。

航空写真で見られる砂堤列の痕跡。

(上の画像:1989年の石狩市の航空写真。海岸線から4kmほど内陸の地点。地形は完全に均されているが、画面の左右方向に砂堤列の痕跡の筋が見える。)

花畔砂堤列の凹凸の数は100列とも200列とも言われていますが、正確な数はわかっていません。また、この一帯は今から6000年前以降、海岸線が内陸から沖へ徐々に伸びて行った(海退)ために陸地になっていったことがわかっていますが、なぜトタン板のような波状の凹凸ができたのかは、未だ解明されていません。僕自身は、気候変動の繰り返しが反映されているのでは、と考えています。石狩海岸林の融雪プールは、希少な生物の避難所であり、地球の歴史の記録でもあるのです。

<いしかり砂丘の風資料館 志賀健司>

 

次回は、帯広百年記念館、内田祐一さんです。お楽しみに!