Breaking News
Home » 博物館〜資料のウラ側 » シャチの骨格標本に隠された町の技術

シャチの骨格標本に隠された町の技術

【コラムリレー08「博物館?資料の裏側」第28回】

 オホーツクミュージアムえさしの1階にある自然系展示室の目玉の展示のひとつが、シャチの全身骨格標本です。シャチの全身骨格標本は全国的にも珍しく、また全長およそ7mもあり、迫力満点です。入館して受付を済ませた後に真っ先に目に入るのが、自然系展示室の天井に吊りさげられているこの骨格標本です。

 このシャチは、2010年の11月に稚内市の海岸に打ち上げられた個体です。さまざまな経緯により、現地での解剖、調査が終了したあと、当館に引き取られることになりました。

ミュージアム1階自然系展示室で来館者を出迎えるシャチの骨格標本

 枝幸町においても、過去、何度かシャチが漂着した記録があります。近現代でも、大正6年(1917)、昭和52年(1977)に枝幸町の海岸にシャチが漂着しています。大正6年のときには流氷に追われた30頭余りが幌別川河口に乗り上げ、昭和52年のときにも流氷によってオス2頭、メス6頭の計8頭がモウツ海岸に乗り上げました。

 一方で、大正元年(1912)から平成22年(2010)までの約100年間で枝幸町にシャチが打ち上がったという確実な記録は、前述の2例しかありません。そのため、2010年にシャチが打ち上がって当館に引取可能かの打診があった際、この機会を逃すと、今後シャチの標本を手に入れることは難しいのではないかと職員は考えました。それに加えて、枝幸町の歴史や文化からも、シャチの標本をミュージアムに展示することは、地域の博物館としてとても価値がありました。

漂着したシャチ(昭和52年 モウツ海岸)

 しかし、受け入れを決定したからといって、その後の作業はそう簡単ではありません。大型の哺乳類の骨格標本をつくる場合、最も一般的な除肉の方法は土中に埋設する方法です。これは、死骸を土に埋め、微生物による分解を待つ方法ですが、肉の分解までに3年から時に10年以上の膨大な時間を要します。特に、1年を通して寒冷な枝幸町では、さらに分解が遅れる可能性は十分に考えられました。

 そこで、職員が考えたのが、「エゾシカなど有害鳥獣の枝幸式発酵減量法」を利用することです。これは、枝幸町とホクレン農業総合研究所が独自に確立した技術で、まず、本町の主要産業である酪農業から牛糞と林業の未利用資源を利用した木材チップを混合撹拌し、牛糞に含まれる微生物の力で発酵させた「発酵床」と呼ばれる混合物をつくります。次に、その中に動物の死骸などを入れ、好気性発酵によって肉などの有機物を分解するという方法です。この地域資源を活用した技術の開発により、これまで苦労していたエゾシカやヒグマなどの死骸や残滓の最終処分に大きな成果を上げています。この技術を、シャチの骨格標本の製作に応用しようと考えたのです。

 稚内市の海岸でシャチのストランディングを研究している調査員たちに解体されたシャチの骨格を運搬車に積み込み、およそ2時間かけて枝幸町まで運び、発酵床の中に埋設しました。その2日後には、埋設した発酵床の周辺から、もうもうと湯気が立ち込めてきました。これは順調に好気性発酵がおこなわれている証拠で、発酵床内部の温度が60℃を超えるためです。こうして、発酵床にシャチを入れた約2週間後には、肉などの有機物は分解され、ほぼ骨だけの状態となってしまいます。当初懸念していた好気性発酵と発酵熱による骨の劣化もありませんでした。最後の仕上げである骨の漂白や組み上げは、専門の業者に依頼し、素晴らしいシャチの全身骨格標本ができあがったのです。

「発酵床」の中に解体したシャチを埋設している様子

 来館者を威風堂々とお出迎えしているシャチの全身骨格標本は、枝幸町の豊かな自然を象徴するだけでなく、枝幸町の技術力も示す資料となっています。

(オホーツクミュージアムえさし 学芸員 立石淑恵)