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厚沢部川とシシ踊り【コラムリレー第4回】

 

上里鹿子舞

(写真は厚沢部町字上里に伝わる上俄虫鹿子舞)

 

 

 

北海道南部の厚沢部町周辺には、風流獅子舞や三匹獅子舞として知られる芸能が伝わっています。
地元では「シシマイ」、「シシオドリ」と呼ばれ、お盆や神社の例祭で踊られています。

 

現在、厚沢部川流域には、4団体のシシ踊りが保存されており、後継者不足に悩まされながらも活動を続けています。

 

 

 

三匹鹿子舞の分布

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(今村威1992「南予地方鹿踊りの史的価値」『伊豫史談』286号,p4 掲載図を転載)

 

俗に三匹鹿子舞と呼ばれる鹿子舞は、神奈川県、山梨県、長野県、新潟県を西限として、それ以東に分布しています。
なぜか東日本・北日本に濃密に分布しています。
厚沢部川流域のシシ踊りは、最北限の三匹獅子舞です。

 

 

 

文献に登場するシシ踊り

 

松田伝十郎の著した『北夷談』で記述されたシシ踊りの様子を紹介します。

 

一、七月盆踊と号し市中に踊り有り。

(7月に盆踊りと称して市中で踊りがあった)

厚沢部の村々より鹿子踊りと称し、百姓ども手前拵えの獅子面を被り、江指へ来て踊りをなすに何か唱ふる事有り。

(厚沢部の村々から鹿子踊りと称して、百姓たちが自作の獅子面をかぶり江差市中へやってきて何かを唱えながら踊っている)

びんざさらを以て拍子をとり、もっとも笛・太鼓も有り、至て古風の事にて、私領の節は役所へ入って踊りしと云。

(びんざさらで拍子をとるが、笛や太鼓などもある。いたって古風の風習で、松前藩領時代には役所で踊っていたという)

御領に成りては入れず会所において踊らせ、御役所より鳥目弐百銅、白米壱升を出す事仕来と云。

(幕府領になってからは役所には入れず会所で踊らせた。役所からは銅銭二百文と白米一升を出す事がしきたりになっているという。)
第一次蝦夷地幕領化(1807~1821)に伴い幕府の役所となった檜山番所に、厚沢部の村むらからシシ踊りがやってきた際の描写です。

松前藩領の頃は番所の中で踊っていたようですが、幕府領になってからは番所内で踊らせず会所で踊らせたということでした。
踊る場所こそ会所に変更されていますが、幕府領となってからも慣例に従って銅銭や米などが下賜されたことが記されています。

シシ踊りでは「ヤンコホメ」という唄がありますが、「何か唱ふる事有り」というのは、「ヤンコホメ」を指しているのでしょうか?
もう一つ史料を紹介します。
増田家文書「江差御役所年中行司」(『江差町史』資料編巻二,p594)です。

 

七月十五日
一、例年之通泊村・田沢村・五勝手村・厚沢部村より獅子踊罷出候ニ付、壱ヶ村米壱升・銭弐百銅つつ初穂として被下候。

 

(例年の通り、泊村、田沢村、五勝手村、厚沢部村からシシ踊りがやってきたので、一ヶ村につき米一升と銭二百文を初穂として下賜した)
記録の年代がはっきりしませんが、「江差御役所」の年中行事としてシシ踊りが踊られていたこと、江差とその周辺の集落からシシ踊りが集まってきたことがこの史料からも裏付けられます。

 

 

 

厚沢部川と松前藩のヒノキアスナロ伐採

 

「福山秘府年歴部」延宝6年(1678)の出来事として厚沢部川流域でのヒノキアスナロ伐採の始まりを記しています。

是歳始、令山人伐西部阿津佐不山中之檜樹

(この年初めて、山人をして、西部あっさぶ山中の檜樹を伐らしむ)

延宝6年に厚沢部山中でヒノキアスナロ伐採が始まったことを示す記録です。
また、「赤石家系譜略伝(抄)」(『江差町史』第五巻通説二,p203から引用)によると

官府(世人番所と称するは非なる)、始は上国に有る。延宝六戌年冬あつさぶ山中の檜樹始て開発依つて官府を江差に移す

(官府ははじめは上ノ国にあった。延宝六年の冬にあっさぶ山中で檜樹が初めて開発されたので、官府を江差に移した)

厚沢部山中でのヒノキアスナロ伐採開始を受けて、上国(現上ノ国町)にあった「官府」(檜山番所)が江差に移されたという記録です。

厚沢部川流域の山々でヒノキアスナロの伐採が開始されたこと、それによって檜山番所が江差に移された経緯が記されています。

 

 

厚沢部川流域の山々でヒノキアスナロの伐採の開始されたことによって、厚沢部川流域では杣夫をはじめとした本州からの移住者が増加したと考えられます。
シシ踊りが檜山番所の年中行事として踊られるようになった背景には、松前藩のヒノキ山開発とシシ踊りが当初から関係していたためなのかもしれません。

 

 

 

ヒノキアスナロの分布とシシ踊り

 

緑の範囲がヒノキアスナロの分布範囲です。
赤のドットがシシ踊りが伝わっている集落、またはかつて伝わっていたとされる集落です。

ヒノキアスナロ分布域の西側と北側にシシ踊りが伝わる集落が分布しています。

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(環境省第2~5回自然環境保全基礎調査植生調査の成果、国土地理院発行基盤地図情報北海道(縮尺レベル25000)・基盤地図情報数値標高モデル10mメッシュ(1次メッシュ6239~6241、6339~6340の範囲)を使用)

 

ヒノキアスナロは、厚沢部川と上ノ国町天の川に挟まれた日本海側に分布域が限定されています。
厚沢部町、江差町、上ノ国町の町域にまたがる狭い範囲にヒノキアスナロが分布し、その周辺にシシ踊りを伝える集落がある、という地理的関係を見て取ることができます。

厚沢部川周辺でのヒノキアスナロの伐採と集落の成立、シシ踊りの伝播は密接に関わっているのではないかという推測も成り立ちそうです。

 

 

 

シシ踊りの笛

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シシ踊りで使われる笛は「獅子田流」と呼ばれる篠笛です。
私が加わっている上俄虫鹿子舞では六本調子の六穴の篠笛を使用していますが、同じ厚沢部川流域のシシ踊りでも、五本調子を使っていたり、七穴の笛を使っていたりするなど若干違いがあります。

また、使わない穴をビニールテープなどであらかじめふさいでしまうこともよく行われていますが、ふさがないで指で押さえる人もおり、個人差があるようです。

上俄虫では、吹孔に近い1穴目をビニールテープなどでふさいでいる人がほとんどです。
私もこの方法で覚えましたが、1穴目を自分の指で押さえる運指にしておけばよかったと後悔しています。

 

 

上俄虫鹿子舞の笛

 

私自身が加わっている上俄虫鹿子舞の笛をダイジェストでお届けします。
本当は、師匠の笛をお聴かせしたいところですが、絶対にことわられるので私の演奏でご容赦ください。

山上がりという演目の最初から最後までに登場するフレーズを一回しずつ吹いています。

 

 

<厚沢部町教育委員会 学芸員 石井淳平>

 

来週は、旭川大学地域研究所の斎藤和範さんの投稿です。ご期待ください!