余市町の中心を流れる余市川の右岸には、「大川遺跡」と呼ばれる遺跡があります。大川遺跡は、縄文時代後期から近代に至るまでの人々の痕跡が、多くの遺構・遺物という形で残されていました。
(遺構→建物跡やお墓など生活の痕跡、遺物→土器や石製のナイフ、斧などの道具)
特に、1989年から1994年にかけて実施された発掘調査では、150万点以上の土器や石器を中心に多種多様な遺物が出土しました。
遺物の中には、大川遺跡でしか確認されてない珍しいものも多くありました。今回ご紹介したいのは、「土鈴」です。縄文時代の土鈴は、縄文時代中期頃に山梨県や長野県で多く出土し、後晩期になると東北・北海道でも確認されるようになります。
大川遺跡では、縄文時代晩期(約3,000年前)のお墓と続縄文文化期(約1,700年前)の住居跡から出土しました。
1つ目は、縄文時代晩期のお墓から出土した土鈴で、大きさが6.6cm×4.9cm、小さな徳利のような形をしています。
穴は空いておらず、封じ込めるタイプのものです。レントゲンを撮ると小さな物質がいくつか入っており、振ると「カラカラ」という乾いた音色を発します。
覆土と呼ばれるお墓の埋め戻しの土の中から出土しており、報告書では埋葬する際に使用されたのちに埋め戻した土の上に置いたか、何かにぶら下げたのではないかと推測されいてます。
もう一つが、続縄文文化期の住居跡から出土した土鈴で、縄文時代晩期のものとは全く異なった形をしています。石器製作に関わる建物跡の床面から出土したもので、どのような儀礼に用いられたかなどの情報は得られていません。
大きさは、6.3cm×3.9cm×2.3cmと扁平で、装飾が一切ないシンプルな作りになっています。こちらも、穴はなく、封じ込めるタイプの鈴です。レントゲンで確認すると、中には6個の土玉が入っていることがわかりました(実測図参照)。こちらは振ると「コロコロ」と音色を発します。
いずれも、私たちが想像する鈴の音色とは異なる乾いた音色ですが、縄文時代・続縄文文化期の人々が数千年の時を経て、一切壊れることなく掘り出され、私たちに当時の音色を聞かせてくれることは大変貴重なことです。
振って音色を聞いてもらうことはできませんが、これらの土鈴は北海道余市町の余市水産博物館にて展示されていますので、お立ち寄りの際はぜひご覧ください。
(余市水産博物館 学芸員 髙橋美鈴)