厚沢部町字城丘にある史跡館城跡は、明治元年に松前藩によって築城されたお城です。築城直後に箱館戦争が勃発し、松岡四郎次郎率いる旧幕府軍一聯隊の攻撃を受け落城しました。
館城の地下にはまだ、多くの遺構や遺物が眠っています。これらは貴重な文化財であり、簡単に発掘調査を行うことはできませんが、レーダー探査や金属探査は館城を傷つけることなく、地下の様子を探ることができます。
令和3年8月に行った金属探査の結果、謎に包まれていた館城の姿について新たなデータが加わりました。また、同時に行われた札幌学院大学の臼杵勲先生の探査成果についても、御紹介いたします。
科学の力が明らかにした館城の新たな姿や今後の課題について考えます。
- 日 時:令和4年3月26日(土)13時30分〜(約1時間)
- 場 所:厚沢部町図書館視聴覚室
- 対 象:どなたでもOKです(小学4年生が理解できるような内容にしています)。
- 申込み:不要
- 問合せ:080-6094-8439(junpei9アットマークgmail.com)アットマークを@に変えてください
『館築城図』にみる館城の御殿
厚沢部町郷土資料館所蔵の『館築城図』(厚沢部町郷土資料館所蔵)は館城に築かれた御殿を描いたものと考えられます。お殿様の寝室や、日中政務を行った場所が描かれており、奥御殿と常御殿に相当する建物の設計図面と考えられます。図の左には、さらに表御殿に通じる廊下が描かれており、3棟の建物が計画された可能性が考えられます。
現地の礎石の配置とは一致しない点も多くあり、最終的な館城の姿を示すものではないと考えられます。
発見された金属製品
館城御殿の周辺からは、建築材や建具にかかわる金属製品が出土しています。今回の金属探査の反応はこれらの金属製品に由来するものと考えています。金属反応分布は館城御殿の機能や完成状態を推測する貴重な情報です。
館城御殿の礎石
館城では御殿の基礎石(礎石)が発見されています。地表面に露出していない礎石はこれまで見つけることが困難でしたが、レーダーはその姿を克明に捉えました。