はじめに
今回のテーマである「学芸員のお仕事」を書くにあたり、利尻富士町に就職した当時を振り返ってみると、隣の利尻町には、歴史系の西谷榮治さん、自然系の佐藤雅彦さんがいらっしゃって、充実した博物館活動を展開されていました。また、宗谷管内を見渡せば、稚内、枝幸、礼文にも学芸員が配置されており、心強さを感じたものでした。現在では、新たに若い世代が浜頓別、利尻、礼文に入り、世代交代が進んできています。
史実の掘り起こし
学芸員の仕事の根幹をなす調査研究は、地道であまり目立たないものです。しかし、レファレンスに対応し、展示や講座などを開くための基礎作業であり、その積み重ねが大切です。その過程には、文化財保護委員やまちの歴史に詳しく資料や情報をいつも提供してくれる方、学芸員仲間など、叱咤激励や情報提供いただける方がたくさんいらっしゃいます。
記録はどこかに残されていても、完ぺきなものなどほぼ皆無、断片的なものばかり。それらをジグソーパスルのように並べて、そこから読み取れる史実を見極める。そして、展示や広報、講座などを通じて住民のみなさんに還元することで、新たな記憶として刻まれることになるでしょう。
遺産を地域の「たから」に
2015年頃から町の産業・漁業遺産を保全しながら観光資源として利活用するための取組が始まりました。このなかで、滞在型観光のルートづくりやフェノロジーカレンダーづくりのお手伝いをするようになりました。それらの取組が具現化されたのが、2018年に選定された北海道遺産「利尻島の漁業遺産群と生活文化」です。ニシン漁で使われた袋澗などの施設や移住にまつわる慣習や信仰・食文化などの遺産が島中にのこされており、利尻・利尻富士両町の観光セクションが中心となり「利尻しまじゅうエコミュージアム」という組織を立ち上げ、遺産を地域の「たから」として活用し継承する取組を進めています。この活動は、行政の垣根を越えた新たな記憶づくりの先駆といえるでしょう。
宗谷の学芸員活動
宗谷管内学芸員の連携事業として、2007年からほぼ毎年行われている巡回展は、テーマによって企画集約や印刷担当を交替で決め、1市町村1ヶ月ほどのサイクルで行なっています。これまでのテーマとしては、縄文文化や狛犬、昭和戦前期の写真、近代の航路や陸路、100校にのぼる閉校した学校、漂着物、など歴史系を中心に取り上げてきました。このメリットは、共通したテーマを調査することで、管内規模での資料情報の把握や記録がまとめられ、個々の学芸員の仕事がPRできることにあります。
忘れ去られた記憶を刻む
さて、折しも今年は利尻富士町開町140周年であることから、新たな記憶づくりのための企画展を計画中です。そのうちの1つに、昨今のコロナ禍により注目されている約100年前に世界的パンデミックが起こった「スペインかぜ(インフルエンザ)」の記録があります。当初は、「町史」に記載がなく、感染が蔓延しなかったのかと思いましたが、当時の行政文書を具に読むと、実は学校が何週間も休校になり、一般にも死者が出るなど混乱していた様子が窺えます。当時の感染症予防として、船舶による上陸者の隔離を図る、春先に島外から出稼ぎに来るニシン漁夫に予防注射を打つよう喚起するなど、離島ならではの対策も見受けられます。
まさに、埋もれた史実の1つにスポットを当てることで、多くの方の記憶に刻まれる。これこそ、学芸員冥利に尽きる仕事だと思います。
<利尻富士町教育委員会 次長補佐・学芸係長 山谷文人>