江戸時代に開かれた猿留山道
平成30年2月13日、猿留山道(えりも町)・様似山道(様似町)が国史跡に指定されました。18世紀後半、江戸幕府は、蝦夷地、国後・択捉などの千島列島を日本の領土として認識し始めました。二つの山道は、ロシアから領土を警備するために必要不可欠な道路として、蝦夷地において、江戸幕府が最初に開削したものです。今回の指定により、その歴史的・文化財的価値が認められたことになります。
鐙が一つ
えりも町郷土資料館には、江戸時代の資料が少数収蔵されています。その一つに馬の鐙(あぶみ)があります。
左右揃っておらず片方(右足用)だけです。それは赤くさびており、ところどころに装飾が残っています。
猿留山道通行の様子
猿留山道を国史跡に指定する準備のため、資料調査していると、猿留山道開削(寛政十一年1799)以降、かなりの数の馬が使役され、多くの旅人が行き来していたことが推測されました。絵図の一つには、騎乗する武士、馬に荷物を付け、手綱を持つアイヌも描かれていました。
安政五年(1858)に東蝦夷地を巡見した箱館奉行 村垣範正著「東蝦夷地絵巻」(国立公文書館蔵)には、猿留山道を通行する一行、豊似湖を見下ろす沼見峠での野点の様子、馬蹄(ハート)の形をした豊似湖などが描かれています。
「東蝦夷地絵巻」より拡大(国立公文書館)
絵図の中の鐙
この絵巻の一場面「雨中育撫之図」には、箱館奉行一行の先頭部に、上級役人が騎乗する姿が描かれています。その武士の足には鐙が描かれていました。
「東蝦夷地絵巻」より拡大(国立公文書館)
それは大きく、前が丸く上に立ち、足を置く台(舌)が長く描かれていました。江戸時代の上級武士は、展示してあるこのような鐙を使っていたのか?この鐙に足を置き、馬をあやつり、猿留山道を通っていたのでしょうか?
展示している鐙の履歴
展示している鐙をも一度調べてみると・・・・大きさは、長さ28cm、幅12.5cm、高さ24.5cm、そして重さは2.6kg 重い!
全体に錆びており、線がしっかりと刻みこまれ、ところどころに銀色の模様があり、鐙全体に桜が描かれています。登録番号1056、資料カードを探してみると・・・
「江戸時代以前、鞍の両側に下げ乗り手の足掛に用いた」「目黒小学校焼跡から発見された 加州住 山田永元作とある。」と記載されていた。目黒小学校舎は昭和42年(1967)1月に焼失、その焼け跡から発見されたのです。
加賀(金沢)鐙?
銘にある「加州住 山田永元作」、ネットで情報を集めると、金沢の私設博物館に所蔵されている「銀象嵌紗綾形文鐙」と銘が同じでした。なんと、由緒ある鐙なのだ!鐙の形は「舌長鐙」。
にわかに心が高ぶります。どのような鐙か調べてみると、螺鈿細工ではなく、加賀象嵌(金沢象嵌)で鐙師の仕事のようです。専門画工により図案が描かれ、鍛造した後、鐙師が象嵌を施す手法だったのです。
加賀象嵌に代表される加賀金工は「加賀の工芸の真髄を表すものであって、比類なき技術の最高峰を表す代名詞でもあった」という。唐金(からかね)と呼ばれる銅合金(素地)に線刻し、鏨(たがね)を用いて、アリ溝を刻み、その中に金や銀の金属を埋め込み、研磨する技法。アリ溝に埋め込んだ紋金は離脱することはないという。
藩政期には、加賀藩が鐙を格式ある献上贈答品に充てていました。価値の高い美術品、貴重品であったにちがいない。
展示している鐙の謎
当の鐙、正面から見る姿は、鳩胸らしく左右対称の美しい輪郭を描いています。舌(足を置く部分)の裏には、見事な桜(枝垂れ桜か?)が刻まれていました。
正面から
舌の裏面(一部)
線刻や桜の花の模様は残っています。しかし、装飾の紋金(銀色)がなくなっている部分があり、特に花全体が凹んでいる部分のすべてに装飾が残っていません。なぜだろうか?そこには異なる装飾(例えば螺鈿細工)がなされていたのかもしれません!
なぜ、えりも(猿留)に残されたのか?
このような芸術性の高い鐙が、なぜ、えりも町と広尾町の間の猿留(現:目黒)に残されたのか?焼けた小学校にあったのか?それとも埋まっていたのか?
猿留は猿留山道の東入口であり、幌泉場所の通行屋(番屋)が置かれており、北方警備の武士、巡見の役人が、宿泊していた地域である。それらの旅人が残していったものだろうか?それとも・・・猿留(現:目黒)に、仙台藩ゆかりの人が嫁入りしています。その方が持参してきた可能性は?
じっくり観察すると、線刻にアリ溝が確認できません。細い線刻にはアリ溝は施さなかったのか?燃えた影響、錆びた影響かもしれない、ひょっとすると贋作かもしれない、と考えてしまいます。
この鐙を付けた馬をあやつり、猿留山道を旅したのは、どなたであっただろうか?どれほど美しく輝いていたことだろうか?
えりも猿留(現:目黒)に残された加賀象嵌の鐙、謎は増えるばかり。一つ一つ、ひも解いていきましょう。
<えりも町郷土資料館 学芸員 中岡利泰>