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北海道・樺太の野球チームNo.1は?【コラムリレー第28回】

大正期から昭和戦前期にかけて、北海道・樺太の社会人野球チームNo.1を決める大会が開催されました。この野球大会は、1922(大正11)年、小樽新聞社の主催で北海道のチームだけが出場する「全道実業野球大会」として始まりました。1929(昭和4)の第8回大会から、樺太のチームの参加が認められ、北海道9地区に、樺太1地区を加えた全10地区で予選大会が実施されました。名称も「全道樺太実業野球大会」と改称されます。

それでは、その第8回大会を詳しく見てみましょう。大会は小樽新聞社が主催し、小樽公園グラウンドを開場に開催されました。主催者である小樽新聞社は、紙面で大会開催の告知広告を掲載するとともに、小樽新聞社本社、小樽梅屋運動具店でスタンド券を発売します。値段は、30銭(1日券)でした。1929年6月16日からは、岩見沢地区の予選大会が開幕し、7月下旬までに全10地区で実施されます。組合せ抽選会・主将会議が8月14日に小樽新聞社本社で開催されました。

第8回大会には、総勢47チームが地区予選大会に出場しました。地区予選を勝ち抜いて本大会に出場した10チームは、安田銀行野球部(小樽)、札鉄野球部(札幌)、曙倶楽部(函館)、万字社友野球部(栗沢)、ナインスター倶楽部(北見)、根室野球協会(根室)、苫小牧オーロラ倶楽部(苫小牧)、名鉄倶楽部(名寄)、滝鉄倶楽部(滝川)、樺太庁逓信野球倶楽部(豊原)です(チーム名は『小樽新聞』1929年6月2日、8月7〜11日付記事による)。

こうして、1929年8月15日午前8時30分、第8回大会が開幕します。開会式は、前年の第7回大会優勝の札鉄野球部を先頭に、出場選手の入場で始まりました。札鉄野球部による優勝旗の返還のあと、主催者である小樽新聞社坂牛重役のあいさつ、大会歌「見よ北国に光輝く」吹奏、大会旗掲揚と続きます。大会ルールの説明、木田川小樽市長による始球式が行われ、9時30分に開幕戦の滝鉄倶楽部対樺太庁逓信野球部の試合が始まりました。

第8回大会の各試合の結果は次の通りです。

第8回大会試合結果(『小樽新聞』1929年8月15日夕刊〜8月21日付記事をもとに作成)

お盆の開催に加えて、天候にも恵まれたことから、連日、地元の小樽だけではなく、札幌や他の地域からも、老若男女を問わず多くの観衆が集まりました。主催者である小樽新聞は、野球ファンの動向も含めて大会の様子を大々的に取り上げ、試合結果を詳しく報じました。

大会スケッチ 滝鉄対樺太逓信 三盗を狙うがスライディングできず、四つんばいでなんとか成功(『小樽新聞』1929年8月16日)

 

大会スケッチ 滝鉄対樺太逓信 四球連発で押し出し、「ところてん屋」開業の滝鉄(『小樽新聞』1929年8月16日)

 

大会スケッチ ナインスター対オーロラ キャッチャーのユニフォームは、汗と土まみれ、球審の真っ白なシャツと対照的で目立つことこの上ない(『小樽新聞』1929年8月17日)

決勝に勝ち上がったのは、函館地区代表の曙倶楽部と、札幌地区代表の札鉄倶楽部。同年8月20日、決勝戦が行われました。前評判の高かった2チームの対戦となったことから、決勝戦は、「大会開始以来最高の人出でさしもに広い公園グラウンドもタイヤの丘まで十重二十重人に取囲まれ身動きも出来ない盛観」となりました(『小樽新聞』1929年8月21日)。結果は11−5のスコアで札鉄が勝利、3年連続4回目の優勝を果たしました。札鉄に、優勝旗、優勝カップ、優勝メダル、花輪が授与されました。

第8回大会の首位打者は、曙倶楽部(準優勝)の永澤選手でした。打率6割3分6厘、3試合で11打数7安打本塁打2本、三塁打2本、二塁打1本の大活躍でした。

 

北海道博物館では、野球をテーマにした特別展「プレイボール 北海道と野球をめぐる物語」を、平成29年9月24日(日)まで開催しています。

〈北海道博物館 学芸員 会田理人〉