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北海道最初の鉄路「旧国鉄手宮線跡地」【コラムリレー第17回】

現在の手宮線跡地(2015.9.17撮影)

現在の手宮線跡地(2015.9.17撮影)

「旧国鉄手宮線」は現在の「南小樽駅」から小樽市総合博物館本館の場所にあった「手宮駅」まで2.8㎞の路線、北海道で最初の鉄道「官営幌内鉄道」の路線の一部でもある。

1880(明治13)年11月28日、北海道開拓使は炭鉱の開発、交通路の開設など重要事業の一つとして「幌内鉄道」を敷設する。この時点では小樽手宮から札幌までの区間で開拓物資などを輸送した。その2年後に幌内炭鉱のある三笠幌内まで全通し本格的な石炭輸送が開始される。1889(明治22)年には「北海道炭礦鉄道会社(北炭)」に譲渡、民営化となり安定した石炭供給を続け日本の発展に貢献していく。

鉄橋を渡るしづか号(明治末)

鉄橋を渡るしづか号(明治中頃)

その後、鉄道の社会的重要性も増し管理運営の統一が議論されていく時代となり1906(明治39)年に「鉄道国有法」が公布されることになる。北炭を含む17社の私設鉄道が買収され全国の鉄道が国有化となる。国有化まもなくは車両の形式など旧会社の呼び方をそのまま使っており運用や保守管理に不便が生じた。そのため1909(明治42)年に形式を統一した規程が定められた。同年に線路名称も改正され「小樽(現:南小樽)」から「手宮」までの区間を「手宮線」と改正された。この時から現在呼ばれている「手宮線」となるのである。

手宮駅舎(1957.3.10)

手宮駅舎(1957.3.10)

手宮線の途中駅は「色内駅」の1つだけで1912(大正元)年に開業、途中2度閉鎖・復活をするが1961(昭和36)年の休止から1年後に手宮線全体の旅客営業が廃止となり同駅も廃止となる。旅客は廃止されたが貨物専用線として飼料やセメント、小麦粉などの輸送を行った。しかしトラック輸送の普及により手宮線を利用していた荷主が減り、1985(昭和60)年8月20日までに全荷主が契約を解除、存続の理由が無くなった同線は11月5日に105年の歴史を閉じた。

色内臨時乗降場(1957.3.10)

色内臨時乗降場(1957.3.10)

2011年に復元された現在の色内駅

2011年に復元された色内駅(2015.9.17)

 

 

 

 

 

廃止決定前の手宮線に荷主が皆無となり列車が走らなくなったので旧国鉄北海道総局は廃止の検討を進めた。そういった中、小樽市や市民そして経済界から「本道初、日本で3番目の鉄道として開通した由緒ある鉄路を存続してほしい」という廃止反対の動きがあった。

廃止となる1985年の9月~12月の記事「日本で3番目」と記述がある

廃止年(1985)9月~12月に手宮線を書いた北海道新聞の記事 それぞれ「日本で3番目」と記述がある

この「日本で3番目の鉄道」という表現、北海道や小樽の人にとっては周知の事実だが、実は岩手県釜石市の「官営釜石製鉄所専用鉱山鉄道」の方が幌内鉄道の3ヶ月前に輸送を開始しており地元では「日本で3番目」と説明している。釜石の鉄道はすぐに休止になったことや線路幅が狭かったことなどから正式な鉄道として数えられなかったのだろうか?

館で解説をする時には「日本で何番目」という言い方はできるだけ避けている。開業順序について触れる場合は「歴史的な事実について誤解を招かないこと」「ほかの地域で鉄道遺産保存のために努力している団体に配慮すること」を心がけて説明をしている。

今でも「幌内鉄道が日本で3番目」という書籍や記述はインターネットでも多くみられ日本で3番目の鉄道が2ヶ所の地域にある状態だ。少なくともこのコラムを読んだ方はこの事実を理解して正しい歴史を知ってもらいたい。

ちなみに私が知る最古の記述は「北海道鉄道史 1947(昭和22)年」である。これは半世紀も前の書籍でこの文献が始まりかは断言できないが、文章に残す物はしっかりと調査して書かなければならないという例ともいえる。

この文献中、幌内鉄道史のページに「第三位の歴史的のもの」と記載がある

この文献中、幌内鉄道史のページに「第三位の歴史的のもの」と記載がある

この「3番目」手宮線が廃止になる時に歴史的に由緒のある線路を存続させたいという願いから4番ではなく3番といったのかもしれない。しかし日本で何番であろうが北海道の起点となる鉄道で現在は散策路に整備されその歴史を伝えている。列車はやって来ることはないがいつまでも鉄路を残しておきたい地域の遺産である。

手宮線で写真展を開催している様子

手宮線で写真展を開催している様子(2015.9.17撮影)

市民や観光客の憩いの場となっている(2015.9.17撮影)

市民や観光客の憩いの場となっている(2015.9.17撮影)

<小樽市総合博物館 学芸員 佐藤卓司>