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名寄岩の化粧回し【コラムリレー第39回】

nayoroiwa

「名寄というと『名寄岩』の名寄ですね」 初めて名寄に来られた年配の方から聞くことが多いこの言葉。名寄岩とは岩石の名前ではなく、昭和10、20年代に活躍した名寄出身の相撲取りの四股名で、本名を岩壁静夫といいます。実家は養豚業を営み、静夫少年は家業を手伝う、街でも評判の力自慢の子供でした。

そんな静夫少年が針・鍼灸の免許をとるため17歳で上京し、両国にある鍼灸学校に通ったのが運命のはじまり。その立派な体格から立浪部屋にスカウトされ相撲の道へ。親方がつけた四股名を断り、故郷の「名寄」に岩壁の「岩」をとって「名寄岩」としました。その融通の利かない一本気な性格、闘志むき出しに土俵に上がる姿から付いた異名は「怒り金時」。双葉山、羽黒山と並び立浪三羽烏として人気を集めた名寄岩は、大関まで昇りますが病気と怪我でその座を陥落。一度は前頭十四枚目まで落ちますが不屈の精神で相撲を取り続け、二度の敢闘賞を受賞。その真面目な相撲道は力士の鑑として特別表彰を受けました。懸賞金を受け取るときにする作法「手刀」は江戸時代にあったものを名寄岩が復活して広まったものです。現役にこだわり40歳まで相撲を取り続けた名寄岩。40歳での幕内力士は、昨年9月場所で旭天鵬に破られるまで60年間破られることなかった大記録でした。引退後は春日山親方を襲名。故郷への思いも強く、名寄市に寄付した百万円が現在も「名寄岩基金」として残っています。

その波乱万丈の相撲人生が映画化され、故郷名寄には銅像も建った名寄岩。昭和46年1月、56歳でその生涯を終えますが、地元の人々の思いは強く、生誕80年から10年ごとに周年事業が行われ、昨年は生誕100年記念として様々な事業が行われました。9月から10月にかけて北国博物館で行われた名寄岩生誕100年記念展もその一つ。愛用した巨大な湯飲みや座布団、手形付きのサイン色紙、大関時代の板番付など、沢山のゆかりの品々を展示しました。その中でひときわ目を引くのが鮮やかな牡丹の刺繍をほどこした化粧回し。昭和52年に奥様から寄贈を受けたものですが、実際に名寄岩がつけている写真が一枚もありませんでした。しかし、展示会開催中にある市民から寄贈されたブロマイド写真。そこにはこの化粧回しをつけた名寄岩の姿が。頭髪がだいぶ薄くなっているその写真を見ると引退間近の40歳近い時期のものであることが分かりました。このように、何か展示会を行うと情報や資料などが市民から返ってくる。そんな機会が増えてきたように感じます。名寄岩の化粧回しも、実際に名寄岩が使用している写真が手に入り、さらに価値を高めることとなりました。常設展示室郷土コーナーに展示しているこの一品、是非見にいらして下さい。

<名寄市北国博物館 学芸員 金田卓浩>