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「昭和39年、大相撲 稚内準本場所」の記憶【コラムリレー第27回】

旧瀬戸邸の板番付

稚内市の歴史的建造物として、平成25年6月、国の登録有形文化財に登録された「旧瀬戸邸」(登録名称:旧瀬戸家住宅主屋)には、「板番付」と呼ばれる大相撲の番付表が残されています。 

この邸宅を建てた瀬戸常蔵(1909-1987)は、機船底曳網漁業を中心に経営を行った稚内の実業家です。

 この板番付の右側には、「贈 瀬戸常蔵さん江」と書かれおり、稚内準本場所の関係者であった常蔵に巡業後、贈られたものと考えられています。

もともと板番付とは、本来来場していただいたお客さんにその場所の出場力士の顔ぶれを知らせるために設けられたもので、力士、親方、行司、呼び出しなどたくさんの名前が記載させています。板番付の上の部分は、「入」という形になっており、興行の大入りを願う、江戸時代から続く伝統の様式です。 

 

板番付に書かれているとおり、1964(昭和39)年8月5日、最北の地、稚内にも大相撲が巡業しました。

当時の地元の新聞には、昭和39年8月5日に行われた「稚内準本場所」のようすが記載されています。記事によれば、そのときの観衆は3000人ともいわれており、記事の中には「お相撲さんの特別列車できょう5日早朝来市した横綱大鵬は一旦、宿舎に指定された瀬戸稚商会頭宅に落着き、直ちに場所入りした。」と記されています。

昭和39年というと、大鵬・柏戸という昭和の大横綱が活躍した時代で、野球選手とならび、お相撲さんたちが今以上に国民的ヒーロでした。当時、力士たちは地元の有力者の自宅を訪れるのが通例だったようで、巡業前に東の横綱、大鵬は旧瀬戸邸を訪れ、もてなしを受けたと伝えられています。

                                             

                                          <稚内市教育委員会 学芸員 斉藤譲一>