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十勝まで開拓のための物資を運ぶ。いくらかかる? 【コラムリレー第23回】

貨物運搬賃表
本別町の利別農場が残した「貨物運賃表」

明治30(1897)年に北海道国有未開地処分法が施行されて以降、資本家による大規模な土地申請が行なわれ、十勝にも多くの人々がやってきました。

利別農場は、この明治30年に現在の中川郡本別町勇足に成立した農場で、徳島出身の代議士坂東勘五郎が土地を取得したものです。現地の管理人として、同郷で立江村村長であった東條儀三郎を派遣し、小作人200戸あまりが入植しました。

本別町歴史民俗資料館には、東條家に伝来した利別農場の関係史料が所蔵されています。その中に、当時の物資の運送に関する史料「函館港(茂岩駅逓及)到十勝国利別太 貨物運搬賃表」があります

この「貨物運賃表」は、一言で言えば「函館から十勝の茂岩(豊頃町)を経て利別太(現在の池田町)まで物を運ぶといくらかかるのか」を示した史料です。食料品などの生活必需品のほか、画像にはありませんが農機具や車輪などたくさんの品目が見えます。差出人は「十勝郡大津港松本常吉/函館大町三十七番地藤井猪之祐」とあり、明治30年10月4日付の史料です。

港における諸経費

この史料からは、開拓地における運送賃以外にも様々なことを読み取れます。十勝川河口の大津港は遠浅で、荷物の上げ下ろしに艀(はしけ)を必要としていました。「汽船運賃」「河運賃」のほかに、「海艀賃」や陸揚げを指す「小揚」や保管を指す「倉敷」の料金が運賃細目に計上されており、港における荷物運搬の実態をうかがうこともできます。

明治30年のビジネスチャンス

また差出に注目すると、函館と十勝大津の運送業者が連名で利別農場へ案内を出したことが分かります。十勝への物資は、当然ですが函館を経て運ばれます。資本家が十勝内陸部に進出するこの時期は、北海道沿岸の運送を担った商人たちの新たなビジネスチャンスの時期でもありました。恐らくこうした文書を利別農場以外の農場にも送付し、開拓地への物資供給に関する宣伝を仕掛けていたことと想像されます。

 

最後になりますが、こうした函館から十勝内陸部までの輸送の流れをつかむ史料が、物資の終着点である地域に伝来していることは重要でしょう。十勝の各地域には、こうした歴史のうねりを物語る秘蔵の史料がまだまだ眠っているのではないかと期待し、今後も調査・研究を続けていこうと思います。

本別町歴史民俗資料館所蔵『利別農場事務所 雑種記録』所収「函館港(茂岩駅逓及)到十勝国利別太 貨物運搬賃表」

〈帯広百年記念館 大和田努〉