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井上円了の書【コラムリレー第2回】

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利尻島郷土資料館には、現在の東洋大学の前身「哲学館」の創立者である井上円了(1858~1919年)の書が展示されています。展示されるまで、本資料は賞状筒に収められた状態で、鬼脇公民館の書庫に人知れず残されていました。

仏教学者であった円了は、明治23(1890)年から大正8(1919)年まで全国各地を巡回講演し、日本の文明開化のためには多くの人が自ら学ぶことが大切だと訴えました。これは、現代の生涯教育の理念にも相通ずる考えです。

資料について、東洋大学井上円了記念学術センターに問い合せたところ、明治40(1907)年9 月に利尻島を訪れた記録が「井上円了 新編 全国巡講日誌 北海道編」に掲載されていました。焼尻島で日高丸に上船し、9月8日午前5時に鬼脇港に入港、巡講会場は鬼脇にある利尻小学校を皮切りに鴛泊の劇場、沓形にある大泉寺、仙法志小学校の4箇所で、あわせて1400 名の聴衆を集めたと記載され、これは当時の人口の10分の一に相当します。

それでは、書を詳しく見ていきましょう。書は、長さ125cm、幅33cmの縦長サイズで、「鬼脇と聞きて地獄の隣りかと 思ひの外に極楽の里 圓了道人」という狂歌が書かれています。右上には「明治四十年歳在丁未(さいざい・ひのと・ひつじ)」という落款が押されており、この歌を詠んだことが日誌にも書かれていることから、書は巡講の際にしたためられたものといえます。

日誌には、利尻山について「利尻島は一峰巍然として中央に聳立し、四面ひとしく蓮容を示し、その形富士に似て、しかもその風致に至りては富士以上の趣あり」と評しています。また、利尻小学校で巡講を行った際に宿泊した真立寺の山号看板「北州山」についても円了による揮毫であることがわかっています。

全国に500 点ほど残されているという円了の書ですが、本町に残されているのは、日本最北限といえる貴重なものです。巡講から100年ぶりに見つかった書は、当初シミや汚れがひどく紙質もあまりよくなかったことから、修復を依頼し額装仕立てしたものを公開しています。

(利尻富士町教育委員会 山谷 文人)