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エゾシカ【コラムリレー第46回】

私の住む厚真町に限らず北海道にはエゾシカが多く生息しています。そして、私は現在、遺跡の発掘調査を主な仕事をしています。この発掘によって約5,100年前にも遡る縄文時代前期から厚真町はエゾシカと深い係わりがあることが分かりました。今回はこの係わりと、厚真町から見たエゾシカという身近な動物について焦点をあててみたいと思います。

厚真町では平成14年から「厚幌ダム建設に伴う発掘事業」として、厚真川上流域の幌内地区で遺跡発掘調査を行っていまして、現在も続いています。遺跡群は河口から約30㎞、市街地から14㎞内陸に位置しているので、当然山の恩恵を授かっていた人々が暮らしていたことが分かります。sika1

平成25年度に発掘調査した厚真町  ショロマ1遺跡によく遊びに来ていた  エゾシカ遺跡内を堂々と歩いたり、寝ていたり、、、自由奔放なシカでした。

1.縄文時代前期(約5,100年前)のシカ

今回紹介するヲチャラセナイ遺跡は縄文時代前期後半の竪穴式住居跡が13軒見つかっていて、シカの骨も大量に見つかりました。シカの骨は17m×10mの範囲内に焼けたものと、焼けていないものが一部重なるように分布して、周りに縄文時代前期後半の土器が散らばっていました。この大量のシカの骨は縄文人が食べたシカの骨を同じところに捨てていた結果出来た、貝塚ならぬ「シカ塚」なのです。普通、骨は何千年も経つと溶けて無くなってしまいますが、骨や歯が幾重にもなることで腐食が防がれたものだと考えられます。このシカ塚に一体どれくらいのシカがいたのでしょうか?専門家の先生にシカ歯の残存数から個体数を導き出してみると、最低でも215頭いたことが分かりました。厚真の縄文人はエゾシカを貴重な食料源としていたことが良く分かります。sika2

                     縄文時代のシカ塚(厚真町 ヲチャラセナイ遺跡)

2.アイヌ文化期(約350年前)のシカ

アイヌ民族の人たちが残したシカについて紹介します。厚真川中流域のニタップナイ遺跡でたくさんのシカの骨が見つかりました(ほとんどが焼けていない骨)。こうした調査例からアイヌ民族も昔からシカを食料や交易品としていたことが分かりました。その中でもシカの頭、しかも上顎だけまとまって発見された地点があります。このシカの頭が集中する地点は6m×3mの範囲内の中に雄11頭、雌6頭、雌雄不明6頭の合計25頭がまとまって、しかも、下の写真の様に雄が4段重なっていました。このような検出状態から、適当に置いたわけではなく、意図的に置いたことが分かりました。今までアイヌ民族の送り儀礼で有名なのが熊送り「イヨマンテ」ですが、こうした発掘によってシカも送りの対象になっていたということが発掘調査から分かってきました。sika3

シカの頭が集中して見つかった様子(ニタップナイ遺跡)

sika4        このような形で一部4段重なって見つかっています(標本で再現)

3.近現代のシカ~美々シカ肉かん詰工場~

開拓史は北海道の豊富な資源を利用し、道内自給や輸出工業に向けて様々な政策を行いました。その中の一つが明治11年現在の苫小牧市(勇払郡植苗村美々)に設立された「シカ肉かん詰工場」です。夏には全道的に分布するシカも、冬には日本海側に大雪が降るため、降雪量の少ない太平洋側、特に日高、胆振、十勝に南下してきました。このような状況で、資源に恵まれた土地でありましたが、濫獲と明治12年の大雪によりエゾシカが激減し、資源回復を待つため明治13年から操業停止しましたが、結局明治17年に廃止され、当地方の最初となる近代工業に幕を閉じました。その後エゾシカ対策は禁猟になったり解禁になったり繰り返しています。

sika5 美々鹿肉かん詰所(苫小牧市史 上巻より)

 4.現在のシカと歩む

昔から大切な食料源としてされてきたエゾシカは現在では、道路に飛び出したり、農作物を食べたりとマイナスイメージが強くなっています。しかし、これまでエゾシカと歩んできた道のりを振り返りかえると、エゾシカの恩恵に授かってきた大地ともいえます。こうした歴史を後世に伝えてこれからエゾシカと向き合えば、もっと魅力的な土地になってゆくと思います。

sika6                                                   厚真町の農業被害を防ぐシカ柵

sika7最近エゾシカについての記事がありました。北海道の大切な資源が全国発信されています。エゾシカに限らず限りある資源は大切に、有効につかいたいと考えさせられました。                                                                                                                                                                              (厚真町教育委員会 学芸員 奈良 智法)